ルナ・オービター
春日線香

夜中に断水するというのでポットにティーバッグを放り込んでおいた。水出しのお茶を枕元に置いて寝れば水道が使えなくても一安心というわけ。そのまま布団で本を読みながら寝落ちすると、案の定夜中に目が覚めてしまう。ライトをつけてお盆ごと引き寄せると、作っておいたお茶は透明なままで、その中を数匹の金魚が泳いでいる。種類はどうやら普通の和金や出目金のようだ。これでは飲めないなあ、困るなあ、とひらひらと優雅に泳ぐ金魚を眺めながら、いつのまにかまた眠っていた。


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ゆらゆら帝国の三人がちょうど来たところで、三人とも火男の面を被っている。好きな曲をやってくれるらしい。でも何もこんなところでなくてもいいではないか。橋の上からは暗い水面がただ轟々と下流へ向かうのが見え、少しバランスを崩すとあっという間に水面下に引き込まれてしまうだろう。もしかするとそれを狙っているのかもしれないが、さすがに横暴が過ぎるのではないか。人死が出たらバンドの存続に関わるのではないだろうか……と不安に思っていたら、三人が面をさっと外す。そこにはまたもや火男の面が。それもかなぐり捨てると、さらに火男の面が。いつ果てるともなく無限の火男の面が。


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ここに新幹線が埋まっていますよ、と言われたので、そんなものかと覗き込む。本当だ。深いところでまだちかちかと電気が瞬いている。乗っている人は陽気に弁当などを食べているらしく、華やかな歓楽の気配が伝わってくる。それならあちらは何ですか、ともう少し深いところを指差してみると、あっちのは船だという。いくぶんくたびれ気味とはいえ往時の姿をよく残していて風情がある。階段状に下に行くにつれて古い時代に遡っていくようで、周辺を浴衣を着た人々がそぞろ歩いている。私たちも楽しく話しつつゆっくりとそちらに向かう。


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フローベールの幻の旅行記が出版されるらしいとの噂が界隈に流れる。極秘で日本に滞在していた本人が編集者に原稿を託していったらしく、まさにその原稿だという画像がネットに出回っているのだ。骨壺と言っても差し支えないような大きさの壺に綿が目一杯に詰まっていて、少し綿を取り除けると黄鉄鉱のような塊がいくつか入っている。その微細な結晶面を特殊な機械にかけて読解するらしい。さらに仏日翻訳もしなければならないことを考えるとなんという手間だろう。あれではまだまだ何年もかかるに違いない。生きているうちにどうにか読めれば嬉しいのだが。


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月の東京から月の横須賀へ。道中は電車での快適な旅で、森の中を通る路線はまことに心が晴れるもの。広いシートは大人が数人並んでも十分なほど広く、窓から差し込む木漏れ日は眠気を誘う。途中下車して名物の遺跡や寺院を見学するのも楽しいし、そこでちょっとした講義を受けて学を深めるのも意義がありそうだ。ただ息苦しいのが難点ではあって、人々は皆ゼリー状のマスクを顔に装着している。月であっても酸素の供給は万全だ。とはいえ、これは秘密なのだが、マスクは気休めであって、本当は皆もう息などしなくてもいいのだけれど。





自由詩 ルナ・オービター Copyright 春日線香 2018-10-27 08:16:55縦
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