呼ばれて振り返れば
こたきひろし

駅のトイレの個室の壁に書かれた
作者不明の一文
それに
興味をそそられた

読んでしまった
用を足しなから
読んでしまった

 俺は失敗して彼女を妊娠させてしまった
 出来ちまってから初めて彼女の親に会いに行った
 俺は彼女の父親の前で即座に土下座した
 産まれてはじめて土下座した
 のに、父親は激怒して殴りかかってきた
 俺は逆らわずに殴られた
 殴られて殴られ続けた
 のに
 父親は俺をゆるしてくれなかった
 悪いのは俺だから
 順番を間違えた俺が悪いんだから
 俺は一人前の男として素直に謝りたかった
 そしてゆるして欲しかった
 最後にはゆるしてくれると信じた

 しかし
 怒り心頭の父親に
 彼女も彼女の母親も唖然として立ちすくんでしまった
 その内に父親はどこかに電話した
 それから信じられない言葉を口にした
 警察呼んだから
 お前を不審者として逮捕して貰うからいいな
 そして娘の腹の子供は堕胎させるから
 いいな、わかったな
 大事な娘なんだよ
 必死に育ててきたんだよ
 お前のようなどこの馬の骨かわからない男にやれるわけないだろう
 怒鳴りながら父親は目からいっぱいの泪を垂らしていた
 そのせいだろう
 彼女も彼女の母親も号泣しだしたから
 俺は酷い悪者になってしまい
 俺も泣かずにはいられなかった

事実か作り話か判然としないが
そこで落書き文はお仕舞いになっていた
私もお涙ちょうだいをしてしまった
結末はどうなったかとその先も読みたかったのに
作者はそれをしなかった

そう言えば
私の娘にも長く交際中の男がいると聞かされていた
娘には近い内に会わせるね、と言われていた
私は物分かりのいい父親を演じている

私はトイレから出た
そして駅の人込みに合流して改札を抜けた
お父さん
私は背後から娘の声を聞いた
驚いてその場に立ち止まり振り返ると
最愛の娘は私の知らない男と一緒だった
人の流れの中で時間が止まってしまったかもしれなかった

その時
私の眼を捉えた。娘の傍らにいた若者の姿に私は何ら親しみを感じなかった
運命の出会いの予測も感じなくて
たしかにどこかの馬の骨にしか見えなかったのだ



 
 

 


自由詩 呼ばれて振り返れば Copyright こたきひろし 2018-10-24 07:35:28
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