人間描こう
万願寺

加工されていない人間なんて青い雲が描けない。それは月が悪いわけでも土が悪いわけでもない、ただ星の巡り方が良くなかった。そういう時期の収穫物だった。それだけの事だ。そう言ってほしかった。ただ青い雲が描けないと人間としては果てなく品質が落ちる。くまが描けてもだめ、いくらや鹿、教会のベルなど描けるとこれはもっといけないということになってしまう。消える。消えたい。青い雲ではなくて人間は黄色い太陽に灼かれたいと思ってしまうらしい。激烈に。猛烈に。熱烈に。それは恋で、愛で、夕方たちのぼるさんまの焼ける塩のにおいと似ている。なつかしい場所にかえりたい。あたらしい場所でねむってみたい。誰でもそう思う。おもうことは罪にはならない。そこに罪が見えるのは青い雲が描けなくなった人間だけで、泣いても吐いてもでてゆかない。ただ三音の完璧な和音だけがわっかになって空に揺られていく。おじいちゃん。その輪を作る人間はむかしおじいちゃんと呼ばれた。おじいちゃんたちは青い雲を描くのがとても上手だった。とても。それはおじいちゃんたちの勤勉のたまものだし、星の巡りのせいだけではけしてない。おじいちゃんたち、それは人間より上位だったのか下位だったのか最早知られない。それはどちらでもいいと、おじいちゃんたちのわっかを見なくても生きてゆかれる、とテレビの電源を入れたのは活発なうさぎたちだった。青い雲はテレビを見て育ち、うさぎたちは人間を耕した。そこには努力があった。善意があった。愛情があった。敬意や良識もあった。とてもたしかなよく晴れたおこないだった。加工されていない人間はおじいちゃんたちのわっかを、教わる前から知っていた。だから青く描けないのだと。だから白いのだと。かれらの描く雲は白く、うさぎたちをとても悲しませる。テレビはあすから天気はぐずつくもようだと伝えている。人間を加工しようと思いついたのはちょっとした、ほんのちょっとした天気予報と7時のぐるナイのあいだの、今はもうない清涼飲料水のCMの最後から三秒目の時のできごとだったという。


自由詩 人間描こう Copyright 万願寺 2018-10-20 23:40:02
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