みそぎ
葉leaf

 今年度の上半期は公私ともに充実していた。困難な仕事を精力的にこなし、一方では恋人との結婚の手続きを進めていた。私の仕事は感情労働的な部分も多く、ストレスの多いものであったし、結婚についても相手の親と対面したり指輪を選んだりとストレスのかかる出来事が続いた。また、私は以前の上司と折り合いが悪く、その点についての組織の対応にも不満を抱いていた。とにかく私には過重なストレスがかかっていたのだ。
 10月、下半期になって私は急に憂鬱になった。上半期にあれだけ前向きにすべてをポジティブに考えていたのに、とたんに何もかも不満に思えてきた。いつまでこのストレスフルな仕事を続けるのか。いったい組織は私の受けた精神的苦痛をちゃんと考えているのか。結婚の手続きは私ばかりが主導して私にばかり負担がかかっている。考えはどんどんネガティブになっていき、私は自分が深く疲労していることをそのときに気付いたのだ。
 私は10月2日に休みをとった。一日だけすべてを忘れて心身のリフレッシュを図ろうと思ったのである。すると心のわだかまりはするするとほどけていって、心は穏やかになり、またすべてを許せる気持ちになった。この休みは何か特別なものだった。いわばみそぎのような休日。人生にはときおりこのようなみそぎとしての休日が必要なのではないか。俗世の塵を払い落すためのみそぎとしての休日。



自由詩 みそぎ Copyright 葉leaf 2018-10-02 01:10:51
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