肉体の休暇
一輪車

二十代の後半、五年ばかり肉体労働に従事したことがある。
芝浦と台場をむすぶ巨大な橋ができるまえの芝浦港には
外国貨物船が出入りするための小さな入管があって、
そのまわりに屋台のようなバラックの一杯飲み屋が並んでいた。

日雇い港湾労働者のための無料都営アパートもその近くにあり、
わたしはそこから毎朝、裏にある職安に出かけて
日銭をもらえる港湾荷役に通った。

芝浦港に停泊しているパナマ船籍の黒い巨大な貨物船に乗り込むと
ぱっくり開いた、まるで球場のような船底で奴隷のような黒人
たちがアリのように働いていた。
おそらく貴重な御影石かなにかなのだろう、それをワイヤにかけた
クレーンのアームがボクサーのフックのようなスピードで右に、左に
ブンブンと飛び回っていた。少しでも気を抜けば即死だ。

肉体労働といってもそこにあるのは、土方や鳶のような
半端なものではなかった。
いつも着替えの下着セットを5つほど用意していく。
どしゃぶりの雨に打たれたように全身汗でずぶ濡れになるからだ。
冷凍貨物のなかでの作業では零下15度にもかかわらず
30分もすれば全身が汗まみれになり、
わずか二時間半のあいだに下着の予備を使い果たしてしまった。
こんな仕事の翌日は足腰が立たない。いつも三日は寝込んだ。
いまでも思い出す。あの、雲の上にのったような、つま先から
頭のてっぺんまで痺れたような幸せな浮遊感を。

疲労、などというものではない。
疲労もある閾値を越えると至福の感覚につつまれるのだ。

もっとも、あの時期、わたしは金に困ることはなかった。
わずか二時間で一万五千から二万という仕事があり、それを
三つもこなせば五、六万がキャッシュでふところに入って
来るからだ。月収百万というところだろうか。
だから、港湾の日雇いたちは毎夜、サラリーマンに混じって
品川にあるクラブで飲んでいた。
わたしは二時間も働けば、汗まみれでダウンし三日も寝込むほど
体力がなかったが、痩せた六十代の爺さんがいつもその仕事を三つ以上も
こなすのだ。これが驚きだった。なにかのコツがあるのだろう。

あるとき大学のアメフト部だったかラグビー部だったかの学生たちが
アルバイトに来た。筋肉隆々だったが、驚いたことに十分も、もた
なかった。50キロほどの冷凍貨物品をベルトコンベアに次々載せて
いくだけの仕事だが、見た目ほど楽ではないのだろう。
あるいは筋肉を使う場所が違うのだろうか。学生たちはすぐに音を
あげてしまった。筋肉が痙攣を起こして動けない。これもわたしには驚き
だったが、六十過ぎの爺さんがこんな苛烈な作業を3組もこなし、
夜になると品川や六本木のバーやキャバレーをはしごするのだった。

わたしはこの老人たちを心の底から尊敬していた。
しかし、ふだんは寡黙で孤独でもの静かだったから声をかけることも
できなかった。
かれらは本など読まないが、そのたたずまいは知的ですらあった。

レインボウブリッジなどというわけのわからないものができるという
ことで芝浦の再開発がはじまりアパートも入管も屋台の飲み屋もすべ
てブルドーザーが踏み潰していった。
その後、三十になったわたしはいっさいの肉体労働から身を引いて
もっぱら不労所得で身を立てることになるのだが、いまだにあの日々
を思い出すごとに肉体労働の不思議に慄然とするのだ。


散文(批評随筆小説等) 肉体の休暇 Copyright 一輪車 2018-09-15 05:02:51
notebook Home