たべるのこと
はるな


素麺と豚肉と茄子の煮たのと味噌汁ととまとと胡瓜と梅干しとご飯と納豆とひき肉冬瓜と青菜の浸しをたべたら作り置きの惣菜がもうないから卵を焼いて豆をもどして、もどしてるあいだに卵はたべてしまうしもう一度素麺を茹でて、なんとなくつまらないからチョコレートの蒸しパンをたべてペットボトルのコーヒーをのむ。冷凍庫にたべかけのアイス(キウイ味)、半年前のクッキー賞味期限きれまくったひき肉。書きたい感じがする体からなんにも出てこなくてぽかあんとする。きゅうに熱をだしたむすめ、熱溜りみたいにまわりの空気を巻き込んで赤くなっている。

子どものころ熱をだすと母はりんごをすってくれた、それがあまりすきじゃなかった。べしゃっと薄甘くて、ざらっとしてて。切っただけのりんごのほうがずっとすきだった、けど言えなかった。スプーンで口に運んでくれたらいいのになって思ってることも。黒い、塗りのおわんにいれて出されるのを、いつもたべきれなかった。でも怒られなかった。母のひんやりした、ぱんと張った手の皮が額をひとなでしていく。熱のときは居間に布団をだして、テレビをみながらねた。
もとから量をたべないむすめが熱をだすとよけいに何も口にしない。りんごをするかわりに、ぶどうジュースにポカリスエットをまぜたのを飲ませる。そうして額をなでるわたしの手は、むすめからしたらたしかにひやりとするに違いなかった。

くわがたが一匹、ぜんぜん餌をたべないでいる。一週間おそくうちにきたつがいの甲虫はゼリー(昆虫用ゼリーというのを夫がどこからか買ってくる)にしがみついて、変えても変えてもたべきってしまうのに。くわがたは青のケース、甲虫は緑のケースに入れられている、プラスチックの、うそみたいなその色。夜明け、ごそごそと音がするのは緑のケースで、青のはしんとしている。いつまでも餌いれ(ちいさな切り株がたの木に、ゼリーをはめる用のくぼみがある)のしたにじっとしているしずかなくわがた、くわがたが、どういう風に生活をするのかわたしはぜんぜんしらない。

たべるというのはたいへんなことだと思う。ゼリーとか素麺とか寒天とかつるりとしたものがすきなのはそのためかもしれない。食べさせるというのはもっとたいへんなことで、だからいつも残すとわかっていてもりんごをすってくれた母の心持ちがいまはすこしわかる。



散文(批評随筆小説等) たべるのこと Copyright はるな 2018-08-02 21:45:59
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