いいじゃないか、それで。
よーかん

晴れた日に外を歩くと、クルマの多さに辟易としてしまうのは、ボクが国道沿いに住んでいるからだろうが、平日の日中、京成の普通電車で船橋の職場に向かうジブンが感じる、居心地の悪さには、その排気ガスの不快感なんぞ、ノスタルジーを掻き立てる、風景の中の大事な要素で、ある意味快適なものだ。

オバサンとジイさんとバアさんしかいない電車で、ボクはタブレット端末を立ち上げライブミーの配信を眺めていた。

内職をこなしながら、画面に打ち込まれた文字と会話する、日焼けした細身のお母さんは、ボクのことをトラ君と呼ぶ。イヤホンに響く声で耳を塞ぎながら、目の前を通りすぎる京成沿線の変わらない風景を半開きの眼で睨んでいるジブンはトラ君ではない。文字を打ち込む気分ではないから、サニーフェイスのギフトを三回おして、どうもと書いて、笑顔の絵文字を選んで送信した。

志津駅で乗車し、座ってすぐにタブレット端末をバッグから出したボクを、斜め前のフェドーラ帽を頭にのせた老紳士はジロジロと眺めはじめた。ボクの服装が作業着であることなど、このヒトに理解できるはずがない。静電気防止安全靴に、ディッキーズのストレッチスキニーパンツ、ヒンヤリクールマックスの2Lをぶかっと来た中年オトコなぞ、彼の眼には碌でもない、最近はいて捨てるほど街にあふれている、チョンガーの薄汚れたオトコの中の一人にすぎない。

チョンガー

オヤジがチョンガーと言う単語を昔、たまにだが、羨ましそうに使っていたのを覚えている。向かいの塔のメグロさんはチョンガーだから、ああやって、洗濯物もキチンとジブンで片付けて、ワタシも少し見習うべきだな。そんな言葉をたまの日曜とかに、独り言のように母にいっていたを思い出す。チョンガーってなんだろう、そう思ったはずだ。少年野球で日曜日なんて父親や母親と一緒にいたとないはずなのに不思議だ。なんでこんな事を覚えているのだろう。はっきりと説明できない。

日曜日、母が父と一緒に出かけたことなんてあっただろうか。

日曜日。

父は昼頃からよく日向ぼっこをベランダでしていた。
これも覚えているはずがないのだけれど。
そして、メグロさんと違い父は、たばこを吸うヒトではなかった。

ありふれた平日の昼下がり。オレは無礼な老人の興味本位な視線を無視しながら、ライブミーで、内職しながら文字と会話する、若い母親の笑顔に少しだけ生きる喜びに浸れそうな気分になりはじめている。

そう言えば、音楽をまた聴くようになったのは、インターネットとモバイル端末が急激に発達したからではなく。ただ単に、テレビがまったく面白くなくなったからだろうと思う。前にでたがるヤツラばかりのバラエティーを観ても、その連中の直感的な運動神経の昭和っぽさと、バカのためにワザワザ説明をつけるツッコミと、テレビ編集のワイプや大文字のパターン化に、商品としての、ゴールデン枠番組としての、完成度に苛立ちを覚えて、疲れてしまう。ニュースは社会に納得いく場所をすでに確保したオトコ達にしか関係ない道具みたいなものだし。野球はサッカーを観ても、なんでこんな遊びを応援しなくてはならないのか理解出来なくなってしまった。

ライブミーには、そんな苛立ちを感じたことがまだない。

ゴールデン枠のバラエティー番組、あんなモノを観るヤツラは、きっと不幸であることにすら気づけていない。

日焼けした細身のお母さんが、ブティックの紙袋を折っている手先を焦らせ、手の甲を切った。指ぬきをトリ、中指の第二関節にシャブリつき血をなめる、その少女のような仕草に、老人の視線が気になるせいで、オレは天井をわざと見上げ、車内広告を読むフリをしてみてため息をついた。

午後から終電前まで。こんなシフトをったいダレが作ってくれたのか。出表の書き込みも、請求書の計算も、すべてめんどうな作業になっている。文春だか、現代だか、ポストだか、その広告の内容が、まったく頭にはいってこないのは、車内のお行儀がいい空気のせいかもしれない。お母さんが少女のように笑いながら、リスナービューアーに謝ってはアリガトウを繰り返している。ここぞとばかりに慰めの文章を打ち込むヤツラに、なんだかジブンを観ているようで、悲しくなってきた。

まあ、作業を始めれば、ダレの眼も気にしないで済むのだから。船橋で降りてドトールによって、JR船橋の前を歩く人の流れをながめよう。

まだ時間はあるし。

いいじゃないか、それで。












自由詩 いいじゃないか、それで。 Copyright よーかん 2018-07-31 08:32:03
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