③自己洗脳を解くにはまず自己嫌悪を受け入れる必要があるのかもしれない。 日中の昼。
よーかん

船橋で降りると、そこは、大きな交差点で、ほぼ同じ大きさの,新京成津田沼と少し違い、東京も千葉も埼玉も、羽田も、成田も、船橋を通って行く場所だったから、ある意味で、象徴的な始まりの場所でもあった。いや、間違った。成田は京成一本で行ける地元の延長だから、まあ、そういうのはどうでもいいか。

フナバシでおりると、小学生だった頃は駅向かいの、今はマツヤの場所に、練り物屋があり、オデンダネの匂いがモッコリといった感じにこもっていたと記憶している。

放課後すぐに家に帰り、そのまま、体操着と財布を持って電車にノリ、フナバシで降りて、大通りを渡り、タバコ屋の角の斜めの細い道にもぐりこみ、古い町家と電信柱と水たまりと植木ばちの、入り組んだ路地を抜けて、大通りから大通りへと、独自に開発したワープルートで体操クラブのある路地にたどりつく。そこは、地下にあり、階段は急で細く, 大きなカラダの、元ジュンテンドウ大学の体操選手が始めた、子供体操教室で、そこは小学校と違い、どこか冷たいく湿った空気で、外の音がまったくしなくて静かだった。

早くつくとボクは、大抵、テニスボールを何個か持って、クラスが始まるまで壁に向かって全力投球をくりかえし、周りにいる、フナバシの近所に住んでいるヤツラを無視して、一人、教室全体を使って戦っていた。あれは、たぶん、まだ始めの頃、クラスを待っている時間、二人組のフナバシ組に、デブ呼ばわりの歌を連呼され、ムカついていらい、ボクはそうやって、周りを寄せ付けない子供になって、挑発するアホを寄せ付けない、演舞を繰り返し、ダレにも心を開かない、個人的空間をつくる術をすでに持っていた。

フナバシの体操教室を辞めて、近所の少年野球を始めたのは、「ハハ」にしたら、正しい選択たったはずだ。

ああ、少年野球もか。

やたらと話が長くなってしまうのは、話す内容も、目的も決めていないからだ。ここで、ボクはカウチに横になって、ただジブンの事を話す、ハリウッド映画でよく見るあの、精神分析家にかよう、中年男のつもりになっ書いている。

ああ、まだ昼前だよ。

また、作り置きのスパゲでィーから。

いや、ピロシキを冷凍してあるはずだ。







自由詩 ③自己洗脳を解くにはまず自己嫌悪を受け入れる必要があるのかもしれない。 日中の昼。 Copyright よーかん 2018-07-27 12:34:34
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