自己診断はメモ帳にするべきか。朝と夜。
よーかん

ヒサシブリに船橋を歩いた。

ここ数年、仕事で来たり、クルマで通りすぎたりしてはいたのだが、歩くことはしていなかった。

あれ?裏のシロキヤなくなったなと、気づいて、それで船橋の景色がすっかり変わっていることに気づけた。20年近く前、シロキヤのホールで一月だけバイトした。イヤになってすぐやめたのは、客の層の質が疲れるヤツラばかりで鬱陶しくなったからだ。スタッフは良いヒトばかりだったが、もう20代中盤にもかかわらずオトナになってなかった。甘かったのだ。

JR海神駅の近くの文化住宅に住んでいた。自転車で夜フラフラと船橋の繁華街を流して、二階の店舗の階段の裏に止めてシロキヤにあがる。そんなことだけ良く覚えている。着替える場所は、ロッカーと言うより倉庫のような控室で、タバコを吹かしているセンパイに挨拶しながら、カラダを少しよじって着替えていたと思う。いや、それは他のどこかかもしれない。好きなトコロもあったが、そういうのもやはりイヤだった。窮屈なのはダレでも不快なはずだ。不健康さに気づくまで一月なんて随分時間がかかったものだ。

当時の船橋は錯覚だろうか、今の船橋より随分と濁っていて、お金の巡りも、今になって考えてみると、あまり良くない街だったようだ。簡単に言うとゴミゴミとした古く汚れた街だった。

そうだ、船橋の変化か。

看板の色、形、昼間だというのに、とめどなく行きかうヒトの流れ、混雑したコーヒー屋の喫煙所。ああ、もう日本の景気は良くなっているなと、実感した。裏通りの新陳代謝が活性化していて、観たことがない看板だらけで、呆れるほど綺麗に変わっている船橋に、少し嫉妬さえ覚えた。オレは年取ったのに、船橋は若返っていた。

小学校2年の冬から小4の冬まで京成船橋から南に子供の足で歩いて15分くらいの奥にある体操クラブに通っていた。アニキが体操クラブで小学校日本代表中国遠征組に選ばれるような優等生だったからだ。

「ハハ」はボクも兄の弟だから、同じように育てればちゃんとするだろうと思っていたんだと思う。まあ、よくある話だけれど。そんな簡単に何人も良い子が育つものではない。良い子には、周りを喜ばす協調性と、周りを信頼できる自然体の自信とが共存している。ボクにはどっちも欠如していたようだ。問題は「ハハ」にそれが気づけないほど、ボクは二重人格なイヤな子供だったということだ。

ああ、また、自己診断がはじまる。

まだ、昼なのに。








自由詩 自己診断はメモ帳にするべきか。朝と夜。 Copyright よーかん 2018-07-26 16:09:42縦
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