みてもいいしみなくてもいいのこと
はるな


世界は暑くなりすぎだね。っていうあなたの涼やかさ。シャツのなかに風を飼ってるみたいで良い。
そうだねってわたしは言うけど汗でべたべたになった手がすべってつかまってられない。わたしは季節をすべりおちる。

そうして歯車は六回まわった。百年みたいな6度目に、わたしは風のつよい街で生きている。性懲りもなく恋をしたり、なにかを失ったりしながら歩いている。
アガパンサス、うす紫の花。みどりのあじさい、人気者のどうだんつつじ、辛抱づよいカーネーション。「夏は花がもたないわねえ」ってぶつぶつ言いながら週に2回花を買っていく婦人。冷蔵庫の奥のほうにしまっていてもこらえきれずに開いてしまう百合の花粉をとってやる。おしべ、めしべ、べらっとめくれて現れる黄色い花粉。ぴなぴなして美しいデルフィニウム、すぐわるくなってしまう。かたいつぼみが開いて茶色く終わっていくさまのすべてが愛しくて好き。しおれた花をごみ袋にいれて捨てる木曜日の朝、ちょっとせつなくてせいせいする。そうして金曜日にまた花を買う、何度も繰り返す。何度も何度も花を捨てて、だから安心して花を買ってこられるんだなとわかる。

少しずつ体のつかいかたがわかってくる。わたしの右腕がどこまであるのかとか、体がどれくらいの厚みをもってるのかとか。それは言葉を理解することに似てる。形を覚え、意味を知り、そのさきにことばはある。ことばは世界と溶け合っている。わたしもたぶんもともとはそうだったのだ。形を覚え、意味を(無意味を)知り、そのさきに生活がある。
ことばを好きで、花を好きで、そういうものが生活の輪郭を整えていく。わたしは右腕を伸ばし、左腕を伸ばし、世界に引っかかっていく。歯車はまわりつづけ、花は枯れつづける。わたしはむすめに夢をみなさい、と言う。「なんで?」と不思議がるむすめ、(でもほんとはみてもいいしみなくてもいいよ)と思うけど、くたくたにねむたくて、目を閉じてしまう。



散文(批評随筆小説等) みてもいいしみなくてもいいのこと Copyright はるな 2018-07-05 19:38:45
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