生温い風邪の週末
ホロウ・シカエルボク


狂った世界の鼓動からは
もう受け取るものはなにもない
梅雨の晴間のウザったい午後に
少し前に死んだ詩人の詩を読んでいる
俺の世界は幸か不幸か
たいして変化してはいないが
本棚に並んでいる本やコンパクト・ディスクには
もうこの世には居ない人間の名前の方が多くなった
時間というものが確かに存在しているのならば
きっとそんなふうに現在を植え付けていくのだろう
記憶が未来を構築する
まだ熱いコーヒーを急いで飲み干してしまって
せっかく冷えた汗がまた吹き出してくる
もうそんなことを気にしてもしかたがない
気にしなければならないことは他にたくさんある
珍しく風邪を引いて
この三日間考え事もままならなかった
ただ咳をしては鼻を啜りあげ
ヴィデオ・ゲームに精を出していたのさ
たくさんの人間を殺した
ディスプレイのなかで
爆薬で吹っ飛ばしたり
火炎瓶で燃やしたり
戦車で引き潰したりした
ゲームにはあらゆる罪状が記録される
殺した警官の数
殺した民間人の数
破壊した車の数
撃墜したヘリコプターの数…
その他もろもろ
あらゆる罪状が記録される
もしも戦争ならそれは成績と呼ばれる
判る?言ってる意味

巷はとことん青臭い
まるで誰かのあけた穴を突っついてりゃ
人間として一人前だと言わんばかりだ
やつらの口はきっと
虫歯だらけに違いないぜ
自分を見て欲しくてしかたないんだろう
中身のないやつは喧しく吠えるものだ

昔俺は
読みかけの本をそのまま閉じるのが好きだった
栞など挟まなくてもいいと思っていた
どこまで読んだかなんてすぐに判るから―
そう、そんなことはずっと忘れていたんだけど
これを書いてる途中で急に思い出したんだ
だけどいまはきちんと挟んでるってことは
きっとそんなに重要なことじゃなかったんだろうな
本を読むときに必要なことは
そこになにが書いてあるのかきちんと読み取ること
字面を流し見て判ったような気になってるやつらが増えたぜ
きっとSNSの仕業なんだろうな
優れた文章には二つ以上の意味が必ずある
テキストの読み方しか知らないやつが口を挟んでいいものじゃないのさ
昔はみんなそういうことをちゃんと知っていた
今じゃ詩人にだって知らないやつがごまんと居る
俺はそいつらを捕まえて
なあ、間違ってるぜ、なんて忠告したりしない
だってそんなやつら
俺の詩には関係がないからだ
別に道を急いでいるわけじゃないが
回り道をするような気分じゃないって感じかな
他人を巻き込むことを前提に書いてるようなやつらは
ひとりになるとなんにも出来やしないのさ

「はじめぼくはひとりだった」なんて、古い歌があるけれど
ひとりでなくっちゃ書く意味なんかないだろう
それはコミュニケーション・ツールか否かとか
メッセージとか否かとかそういうことではなくて
まずは自分がどんなものを書こうとしているのか
本能的に知っているのかどうかってことさ
言葉に出来るかどうかなんてどうでもいい
知るべきことを知っているかってそういうこと
はじめは勘違いでいい、俺だって最初はそうだった
なんだっていいんだ
続けていれば自ずと判ってくるものだからさ

ちょっと待って、エアコンをもう一度つけてこなけりゃ
まったく今頃の夜は調節がし辛いね
そして、そう
同じフレーズを何度使ったって構わない
ひとりで書けるやつは
馬鹿のひとつ覚えとは無縁なものさ
同じ歌を繰り返し歌っても同じ歌にならないように
同じ詩だって違う詩になったりするものさ
同じ詩が同じ詩にしかならないものは
技術に囚われてるかそもそも才能がないってだけの話さ
そう、囚われるのはよくない、テーマにも、技術にもね
そして、自分自身にも
禁句を作っちゃいけない
禁則を作っちゃいけない
踏み込んじゃいけない場所を作っちゃいけない
紙と鉛筆さえあれば誰にだって始められるものに
御大層な名目なんて必要ないのさ
パンク・ロックと同じようなものさ
ジョニー・サンダースのチューニングは人任せ
だけど彼は自分が弾くべきことを知っていたから…

狂った世界、ひどく湿気ている
シャツが汗で滲むことに悪態をつきながら
なにも出来なかった休日をいくつかのフレーズで縛り付ける
鼻水はもう垂れてこないし、咳もずいぶんマシになった
明日は仕事でひどく汗をかくだろうし
気が付けば風邪なんて治っているかもしれない
たまには具合でも崩してみなけりゃ、そうさ
本も読めない時間にイラついてみなくちゃ
人生には落とし穴が必要だ
自分で掘ったっていい
たまには落ちてみればいい
あらゆる物事には
違う視点ってものが存在するんだぜ



自由詩 生温い風邪の週末 Copyright ホロウ・シカエルボク 2018-06-24 22:25:43縦
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