猫次郎
やまうちあつし

助手席に猫がいる
仕事を終えて帰ろうとすると
どこからかやって来て
そこへ座る
猫といっても猫らしくなく
長靴など履いて
シートベルトもきちんとしめる
近くの事務所に勤めているらしいが
帰る方向が一緒なので
便乗させてほしい、という
猫がそんなこと言うなんて、
いぶかしいので戸惑った
何より私は猫アレルギーゆえ
帰りのバイパスでもずっと
くしゃみをしっぱなし、なんてごめんだし
けれども思案する私にかまわず
猫はちゃっかり乗り込んで
出発を待っている
こうしたわけで
助手席に猫がいる

   ☆

初めのうちは会話もなく
くしゃみばかりが車内に響いた
ところが少し言葉を交わしてみると
猫は存外常識がある
職場の同僚たちよりも
よっぽど物がわかっている
天気の話、政治の話
病気の話、神話の話
会話は殊の外、弾む
そして我が家のガレージに
車を停める段階になると
猫は決まって眠っている
すうすうと寝息を立てて
あんまり気持ちよさそうなので
そのままにして
夕食後に残飯を持って車を覗くと
姿はない
こうして猫と私の
奇妙な帰路は繰り返された

   ☆

あるとき猫は言う
「あなたはどうも
 いろんなことを知ろうとしすぎる
 いきものが生まれて
 この世を去るまで
 知るべきことは
 ひとつかふたつでいいものさ
 そのひとつかふたつに
 いつまでもおどろいていられることが
 しあわせということの秘訣じゃないかな」
 猫はそう言ってティシューを1枚取り
 鼻をかむ
 そうして言う
「しっけい」

   ☆

猫との帰路が日課となって
しばらくのこと
話があった
転勤になったという
猫の事務所が国内の
何箇所にあるのか寡聞にして知らないが
わりと遠くの支店に異動になったとのこと
あるいは海外かもしれぬ
あるいはこの世の外やもしれぬ
転勤前最後の帰り道も湿っぽいことはなく
それがまた猫らしかった
送別会でも、と言いかけたが思いとどまり
いつものように眠りについた猫に
自分のしていたネクタイを外して
締めてやった

   ☆

それからまもなく
私は猫を飼い始めた
同僚とも何とかうまくやっている
猫からの便りはない
いまごろどこかの事務所近くで
誰かの助手席に腰掛けているだろう
私は猫をなでながら
そんなことを想う
くしゃみはもう出ない
   


自由詩 猫次郎 Copyright やまうちあつし 2018-05-10 17:27:55縦
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