Not the Soul / 魂は違う
若原光彦

 人は何を憶え、何を忘れるべきなのだろう。
 小学生だったある日。英語の授業のとき。先生が「時間が余りましたね。じゃこの話でもしましょうか。これはノートにとらないでくださいね?」と言って、黒板にこう書いた。

           but not the soul

 そして「なんて訳しますか?」と同級生をさした。同級生は「しかし魂ではない」と答えた。
 「いいですねーそうですねえ」と先生はうなずき、「でもね」と黒板に向かった。そして前にみこと書き足した。

   Chills the body but not the soul

 「Chillsは、さむけが走ること。ヒヤッとか、ゾワッとかです。なので全体としては、この身は冷えるがこの魂は違う、とかになります」。
 「《not the soul》が、そこだけ見ると《魂ではない》になる。全体を知ると《魂は違う》になる。《魂ではない》と《魂は違う》。すごく差が出る。言ってみるとわかるかな。リピートアフタミー。《魂ではない》」。「《魂は違う》」。
 「同じことのようで、とてつもない差が感じられる。今の感覚を憶えててね。忘れてもいいけど、なんだっけ忘れてるようなーって気づいたら、思い出せそうな何かに向かってみてね。この話をじゃないよ? 今の感覚をだよ」。先生は黒板から文字を消した。
 憶えておくべきこと。同じようで、とてつもない差。その感覚。
 魂ではない。魂は違う。
 私にはわからない。知性とは何だろう?

 時間は人を等しく運ぶ。そしらぬ顔をして、日常が戻り。二度と戻らない。
 ある出来事があって。私は髪形を変えようか、どうしようか、真剣に悩んだ。月並みだけれど。私の中で何かが変わったのがわかったからだ。その何かを忘れたくなくて。変わったんだということだけでも忘れたくなくて。自分の肉体の、何かを変えてみようかと何度も迷っていた。髪を大きく切るか。ピアスホールを空けるか。どちらもなんだか怖い気がして、結局どちらもやらずにいる。はた目には何も変わってない。
 だが魂は違う。
 私にもし魂があるとしたら。今後もあり続けるとしたら。私の魂よ。私とともに歩め。そして私がどんな状態に陥っても、周囲がどう移り変わっても、私の魂よ。意識と命の続く限り、あるべきものはまだここにあると示せ。


自由詩 Not the Soul / 魂は違う Copyright 若原光彦 2018-05-06 15:20:14
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