朝陽のあとで
ホロウ・シカエルボク


路地裏の、闇雲に積み上げられたコカ・コーラのマークのケースの一番上の段からは内臓に疾患を抱えてそうな誰かの小便のにおいがした、睡魔で朦朧とした頭を手のひらの根元でがつがつと二度小突いて、ノーブランドの腕時計を確認すると午前二時だった、一昨日の雨のにおいが微かに感じられるのはろくに日が当たらないからなのか?そういう道を好んで歩いている俺もまた…あまりに八十年代的なセンスに苦笑しながら、そしてほんの少しだけ忌々しく思いながら、舗装されているはずなのに砂利道のような音を立てる路面を踏みしめていく、どこかのコンビニエンスストアの明かりが道の出口を急な斜角で照らして、そのあたりだけシネマティックな様相だ、「ブルックリン最終出口」でしょっちゅう出てきたあの景色さ、あれはあんまりいい映画じゃなかったけどな…だけど、もしかしたら小説よりもいい話ではあるかもな―表通りを吹き過ぎる風が夜明け前の湿度を運んでくる、この街のミストは俺にろくなことを思い出させはしない―飲み過ぎたのかって?いいや、信じてもらえないかもしれないけれど、酒なんかここしばらく一滴も飲んじゃいないんだ、こんな時間にこんなところを歩いている人間の中にも、素面なやつが居るってことだよ、覚えておいた方がいい、こんなリトル・ワールドにだって、想像のつかない出来事なんていうのはごまんとあるんだ…フランク・シナトラの古いナンバーをハミングしながら、つま先の少し先だけを眺めて歩いた、砂利のような音をさせていたのは、割れた瓶の欠片ってわけさ、判るだろう、午前二時に表を歩いていると目に入るのはそんなものばかりさ、もう少し早い時間なら、ギターを抱えて歌っている傷のない連中を目にすることだって出来るけどね…なあ、信じられるか?自分の人生にそんな過去があるってこと、十年前、二十年前…そんな昔が自分のなかにだってあるってことがさ―長いこと生きれば、そんなことには慣れると思っていた、でもそんなことはない、いつだって驚いてばかりさ、もしかしたら俺にはそれだけの時間を生きたっていう自覚がいつだって足りないのかもしれないね、妙に全速力のタクシーが走り去るのが見えた、あれはきっと早く帰りたいのだ、それとももしかしたら、幽霊でも見たのかな?いまやこの街じゃ幽霊なんて怖いものでもないけれどね…どいつもこいつも華やかなりしころの夢を見てぼんやり歩いているばかりなんだから―真昼間から幽霊だらけさ、ゾンビなんてそんなアグレッシブなもんじゃない、幽霊、浮遊霊ってやつさ、澱んだ目をしてフラフラしている幽霊だらけだぜ―そう、この俺はいまだになんにも成しとげちゃいないけれど、確かに歩いているという自負だけは持っているのさ、ただ毎日をなぞるだけの連中に比べればね…だけどそんな自負がなんになるって言うんだろう?俺はいつだってそんなふうに考えるんだ、そんな自負になんの意味があるんだろうって…当然、そんな疑問に答えなんかあるわけもない、答えなんかあるわけもないけれど、だけどね、そんなふうに考えるのは大事なことなんだ、そこには確かにその先があるからさ、確かにその先へ向かうなにかが隠れているからなんだ、答えを出すことなんかまるで重要なことなんかじゃないんだ、重要なことは、答えを求めようとする行為なのさ―その繰り返しが新しい道を歩くためのノウハウになるんだ、こんな路地裏じゃなくてね…いや、ことわっておきたいんだけども、こんな時間にこんなところを歩いているのはこの話とはまるで関係がないことなんだ、これはなんていうか、眠れぬ夜のただの時間潰しさ…知ってるかい、歩いた日と歩いていない日では、眠りの深さがまるで違うんだぜ、本当さ―歩いた日には、ユニバーサル映画なみの長編大作な夢だって見ることが出来る…と、ここで俺は表通りへと躍り出る、そう―ゾンビのようにね、アグレッシブに…突然表通りに出ると、自分が場違いな生きものになったような気分になる、ほんの少しの間だけどね、そういうのって、判る?俺はいつだってそういう気分で人生を歩いている、それはなんていうか、俺があまりこの街の現実ってやつをあんまり気にしていないせいなんだろうな、それが大事じゃないなんて言うつもりはないけれど、俺にはなんだかつまらなくってさ、おまけにこの田舎町じゃそういった現実をしつこいぐらいに押し付けてくるやつが必ず居て、俺はしょっちゅうウンザリしてしまう…俺はなんていうか、指針を人に貰うような人間じゃないんだよね、既存のお題目が無けりゃ口も開けない人間とはちょっと違うんだ…それが良いこととも悪いこととも俺は思わないけれどね、だってそうさ、人間にはそれぞれの役割ってもんがあるんだろうから…表通りに出てどうするのかって?家に帰るのかって?まだだ、まだだよ、まだ家に帰るには早いんだ、眠れずに歩き出したこんな夜には、街の外れで夜明けを見てから帰るのさ、そうさ、どんなささやかな夜にだってご褒美はほしいものじゃないか…?


自由詩 朝陽のあとで Copyright ホロウ・シカエルボク 2018-03-18 01:20:03縦
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