それだけ
desert trip

世界には無意識の情がある
それは死とよく似ている
よく似ている、と書くと別物のように思われるけど
情は死だ
光が当たるか
闇に染まるかの違いでしかない
同じもの


人間のテーマは
愛と死だ
その二つはよく似ている
よく似ている、と書くと別物のように思われるけど
愛も死も同じものだ
隠喩はそれらに絡まりながら
光と闇を同時に語る


隠喩は人を生かすことがある
「ただないように」ある、もしくはいる、物事や人たちに
隠喩は意味を持たせる
例えばその人の範疇の隠喩が完成に近づくほどに
イデアは顔をのぞかせる


隠喩はそこら中に散らばるが
裂けないと見えない
隠喩は辻褄が合う
それは個人のイデアからの切り取りだからだ
隠喩は個人だ
隠喩は個人を広げうる


死とイデアはよく似ている
しかし全くの別物だ
イデアは人から出ない
死はいつも人の周りに
空気のように漂う
人は自分を守れない
しかし人の創るイデアは
死をその人からはねのける力を持っている


人はどう生きるか
人は個々人の隠喩を広げ、完成に近づけてゆくという旅をするべきだ

その人なりの旅を


隠喩はそれこそ「どこにでも」広がる

暗がりに光の筋をつける

嘘の石だ





ついでに言うと
隠喩が自身を隠喩たらしめるのは
狭さを無さから生めるからだ
それはあるいは
場の意思、や集団としての意思
ある程度の共通認識を生む
そのような「隠喩の香る場」に所属できることは豊かなことだ
それだけで生きている価値になる
明日の事など知らなくとも 一応は





もっと言うと
イデアとはどこまで丁度いいか、だ
それには時間と汗がいる
丁度よさが深まるほどに
いるだけで無茶苦茶気持ち良かったりもする

そんな人に、なれたらなあ
そんな場所で、あれたらなあ


自由詩 それだけ Copyright desert trip 2018-02-17 00:03:07
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