日に焼けた床、むすめのクロゼット、葉っぱをむしるのこと
はるな


まちに心をゆるすのって何日目くらいだろう。300日とか、500日とかそのくらいかな。冬の洗濯物のにぶい色って、(…)。休日は気がゆるむからたいてい体調がわるい。
むすめはソファで寝ている、なんかちいさくなったソファ。まえは夫とわたしとふたりでねそべってもいられたのに。そしてたぶんわたしはまだこのまちには心を許してくなくて、でも今の家は好き。いままでで一番高いところにあって遠くまでみえるし、日当たりがよくて暖かい。結婚してから住んできた二番目の家とすこし似てる。風の通るリビングとか、窓辺の床が日に焼けているとこ、しばらく住んだらまたべつのところに行かなきゃならないって決まってるとこ。
思い付きで買うからてんで統一感のないむすめのクロゼット、黒と灰色と白と少しの赤で構成されているわたしのハンガーラック。夫の衣服は彼の部屋にすべて置いてあって、混ざらない。保育園でむすめが作っては持ち帰ってくる作品たち(おにの顔のかたちのポシェットとか「ぱくぱく(折り紙でできたぱくぱくさせるもの)」とかビニール袋でできた衣装とか)がぺかぺか色をなげうって、さらに本棚のうえでヒヤシンスが満開、つり合いをとるように褪せて乾いていく吊るされたばらとユーカリ。わたしはこのすてきな部屋のだれにもみつからないところに、胸のうちで飼っている灰色の部屋を隠しておく。

あたらしい仕事場へは週3回行く。バスと電車でいくのだ。
花の茎を切ったり、葉を落としたり、つみあげられたばけつを洗ったりして午前を過ごせばお昼をたべて、たばこを2本すったら午後の仕事をする。午後もだいたいおなじようなことをするけれども、午前よりはおちついている。5時のチャイムがなるとわたしはまた走って電車にのりバスにのり、保育園からむすめを引き取って家にかえる。いつもおなかがすいてる(そのくせほんの少ししかたべない)、まるっこい愛しいむすめを満腹にしてきれいに洗って髪をとかして眠らせるともういっぱいで、おそうじも洗濯もなんにもしないまま一緒に眠ってしまう。一日じゅう、葉っぱをむしりながら組み立てた言葉が頭のなかでほぐれていって、それでも朝にはひとつかふたつ残っていたりして、そういうのを七日か十日にいちどまとめる詩は、そんなに良いものではないなあとおもうけど、でもそんなに悪くないなあともおもうのだ。



散文(批評随筆小説等) 日に焼けた床、むすめのクロゼット、葉っぱをむしるのこと Copyright はるな 2018-02-16 16:06:46
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