姿見
春日線香

天狗の一人がやってきて
おまえの家の姿見を貸せと言ってくる
家に姿見など持ってはいないので
そんなものはないよ、と告げると
天狗は怪訝な顔をしている
家に姿見がないなんて嘘だろう
おれが天狗だから小馬鹿にしているんだろう
そんな態度をとるなら考えがあるぞ、と
おそろしい顔をしているが
ないものはないので
うちには本当にないんです
昔から欲しかったのですけれど
いろいろと事情がありまして……と言うと
向こうもだんだん心配そうな顔になり
家に姿見がないんじゃ便利が悪いだろう
買ってやるからついてこい、と
白いバンに乗せてもらい
川を渡って家具センターに来た

さあ好きなやつを選んでくれ、などと
天狗が言うのは少し滑稽だが
ここは好意に甘えておこうと
なるべく安いものを選んだものの
そんなのよりこっちにしろよ、と
天狗はやけに高価なものを勧めてくる
こういう時に口答えをしてはいけない
どうせ自分が懐を痛めるわけではないのだから
何を選んだって大した違いはないのだ
いささか後ろめたい思いを抱きつつ
バンにその姿見を積み込んで
運転さえも任せきりで
また川を渡って家に帰ってきた

さてこれで何もかも整った
立派な姿見はやや不釣り合いではあるが
暮らしていくうちに日常に溶け込むだろう
天狗はいい買い物をしたと
背中をばんばん叩いてくる
いい買い物をしたのかもしれない
なんといっても天狗が選んだものだ
これは天狗の姿見だ
天下にまたとない大名品だ
にわかに嬉しくなって鏡面を覗き込むと
天狗の赤い顔が次々と浮かんでは消え
まるで夜のトマトが踊っているような
夢のように楽しい生活が始まった


自由詩 姿見 Copyright 春日線香 2018-01-27 18:57:45縦
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