ファンタジーは罠
マリア・ブルー

ここのところ、わたしは口紅にとり憑かれている。なぜなのか考えてみたい。
前に書いたブラジャーについても言えるのだが、口紅というのもその機能性でもってして、赤という色を軸として無限に広がりのある、無限のバリエーションを持つアイテムといえるだろう。
確かに衣服も、トップスとしての機能性、ボトムスとしての機能性を基として無限に広がりがあるからこそ、アパレル産業は存続していくのだが・・・この無限性って、ともすれば、疲れてきませんか?
 たとえば、デパートには必ずやある服売り場の数々よ。溢れるその多様性よ。そこから自らのセンスと好みという不確かなものを頼りに何か一つ選んでみること・・・それは喜びでもあるが苦痛でもある。もう、なんでもいいじゃない!?の領域に達したくもなる。なりませんか?私はなります。
 しかしどうだろう。口紅は。形はほとんどが同じで、色の可能性は無限大。
だから服も形を同じくして、無限大に広がるのが正しい(私の求める)姿なのかもしれない。だから私はそれに挑戦してみよう。ただ、その一つの形を定めることは実に難しい。
ああ、身体は産まれたときから、その一つの形を保ち、遺伝子の宿命の中を謳歌する。その息吹が私は好きだ。
 だから私たちが本当にこだわるべきは、肉体なのかもしれぬ。肉体を鍛えて遺伝子の可能性の内で美を極める。いわゆる宿命の中の美を堪能する。見出す努力をする。
それこそが付属品を捨てた美しさといえるのかもしれぬ。
頼るのをやめませんか。衣服なんかに。口紅や下着なんかに。
ああ、でも女は頼らざるを得ないのだ。
男は女というファンタジーからしか踏み込んでこられないのだから。
そして女のリアルに踏み込んだとき、男はもう戻れやしない。
つまり罠、なのだよ。美は、女にとって。
結論が、口紅がなぜ好きかの問いから遠くかけ離れてしまった。お許しあれ。


散文(批評随筆小説等) ファンタジーは罠 Copyright マリア・ブルー 2018-01-27 11:03:47縦
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