小さいおっぱいの目を見張る価値について。(ブラジャー論)
マリア・ブルー

なぜ、私はブラジャーを買い集めてしまうのか。
どうして私はブラジャーを買うのをやめられないのか。
いままで、自分に合うブラジャー、自分の気に入るブラジャーというものに出会えたことがなかった。

たとえば、ブラジャーが可愛くてお気に入りだと、
毎日が楽しいし、着け心地が良いと、
何も着けないより、着けているほうが、快適なくらいなのだ。
私はまともに胸がないが、現代には、小さい胸にもフィットするブラジャーというものが、
沢山開発され、売り出されてもいる。

もしもこの世からブラジャーが消えたら
女の楽しみは半減すると思う。女の胸は垂れる一方である。しかし乳がん予防には垂らすことが大事らしい。

小さい胸も、ないことはない。あるにはある。乳がんになる可能性だってある。
存在はしているのだから、ないがしろにしてはいけない。
ない胸も大切にケアしてあげればその価値を増す。
まるで波平の頭にそよぐ三本の毛のようである。
私の胸は、胸がある女からしたら、目を見張るほど小さいのが、
小さくてもおっぱいはおっぱいである。
おっぱいは大小にかかわらず、偉大なのだ。小さい胸でもおっぱいはおっぱい。
あるに越したことはない。
だから私はどんなに胸が小さかろうと
胸を張って
いまある小さい胸をかわいがろうと思います。
旦那に可愛がらせようと思います。



散文(批評随筆小説等) 小さいおっぱいの目を見張る価値について。(ブラジャー論) Copyright マリア・ブルー 2018-01-24 20:18:46
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