宗教中毒
moote

一日一日が宗教の煙で見えなくなって、あっぱらぱーになるんや。どこまでもどこまでも宗教に飲み込まれて、無が体をつんざいてブッ飛ばされて知らん顔して悠々と歩くんや。
仏教徒の為に道を開けろ、身体の中ぶちかましてやるぞ。黄金の光が身体の外におって、何もかもをすました顔で支配していやがる。こいつは神だ、触ろうにも輝きのみの存在だから触ることもできない。キリスト教やらはこんな存在を父などと呼ぶ。こいつは胸の外におんねん。キリスト教徒たちよ、仏教徒の俺が教えてやる、心臓を握りつぶすぐらいしごかんかい。全ては自我と向き合って、なんもかんもぶち壊して、そこに残った胸の内の輝きが我を仏にすんねん。宗教とは一人や、父などと言って神に身を寄せんな、孤独の中でいびきかいて寝てりゃあいいんや。
時に政治家を操り、時に芸能人を操り、仏たちは民衆を仏教へといざなう。ドシッとかまえて南無阿弥陀仏って唱えてちゃぶ台をひっくり返して奇声あげとんねんこっちは。仏たちよ、もっと血がたぎるほど仏の力を見せてくれ。政治家や芸能人の首がもげるほど操り倒さんかい。孤独が仏教を求めとんねん、ロックバンドのボーカルが全身で歌い、それに巻き込まれるファンのようになりたいんや。気持ちよさの中で失神して、目が覚めて、それを一日に何度も繰り返して、周りに気味悪がられても、仏教への信仰心は薄れることなく、全身が仏教の虜になって中毒になる、そんな力を仏は見せないといけんのや。
身体の内側が燃えている、仏教への衝動が己を溶かして固めて溶かして固めてを繰り返す。釈迦の悟りがどんなだったか予想してやるよ、マーラが悟ろうとする釈迦を邪魔して、漆黒の闇を内側でまたたかせるんだ。それを張り倒して悟りへの道にすがりつく釈迦、頭の中はもうあっぱらぱーだ。するとどうだろうマーラの戦力の漆黒の闇は奥に引っ込む。釈迦は仏陀になってウンマで繋がっている人々に仏の愛が流れ込みどいつもこいつも仏の愛の快感に悶えるんや。
仏の力が地に現れると政治家たちは慌てる。討論をしているふりをして、仏が何を企んでいるか、言葉巧みに探りあう。お前の仏はどんな状態だ、おいそこの君の仏はどんな状態だと探りあい、自分の仏より格が上の状態の仏を見つけると、心の中で手を合わせ、その政治家を政治家たちは崇拝する。それをテレビで見てる仏教徒は、その政治家の仏と俺の仏は同じだとか、てめえの仏より俺の仏の方が上やとか言って、身体の中を流れている仏の愛に手を合わせながら呟き呟きするのである。
仏教徒は酒を飲みながら夜道を歩く、すると同じように酒を飲みながら夜道を歩くキリスト教徒が前から歩いてきて仏教徒と肩がぶつかる。
「あんたは日蓮宗か」
仏教徒はキリスト教徒を睨み付けて言うがキリスト教徒は何も言わず仏教徒を蹴り上げる。そして手がつけられないほどの殴り合いに発展し、仏教徒が動けなくなって地に横たわる。
「お前の仏しびれるぜ」
仏教徒はキリスト教徒に呟く、するとキリスト教徒は、
「キリスト教に仏はいない」
仏教徒はキリスト教徒に頭を下げて
「あなたのお陰でまた一段仏に近づきました、このご恩は一生忘れません。私は菩薩です、キリスト教徒万歳!」
と叫ぶのである。
キリスト教徒はなんだかこいつの役に立ったようで嬉しいという気持ちになる、だがキリスト教徒のこいつもまた神に近づく為の修行中の身なのである。
時にわけの分からぬ雑念に染まり宗教とは関係ないことに夢中になったら、人は迷いの中で苛立ちを募らせるだろう。気合いを入れんかい!仏教徒は風を切り障害を張り倒して前に進む、ただ一つ快楽の海に浸かれる悟りというものを目指して。


自由詩 宗教中毒 Copyright moote 2017-11-14 19:31:33
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