心の天涯孤独
あおい満月

                   
刃を突き刺した手のひらから風が生まれていく
生まれたての風はまだ向かうべき場所を持たな
い風を生み落とした私の指先さえもすり抜けて
風たちは蒲公英の綿毛のように空へ舞っていっ
た。風たちは私の欠片をくわえてどこへ向かう
のか。川が海で交わり道が街で交わるようにい
つか誰かの腕の皮膚に交じり新たな風を生み落
としていくのだろうか。そうして生まれたいく
つもの風の子どもたちがやがて世界を創ってい
く。世界中の人々の耳に耳を澄ます。ノイズと
ともに聴こえてくる声に震えたら、あなたには
私と同じ風が流れている。その身体に刃を突き
刺せばあふれてくるだろう。あなたという私の
なかにあるごくわずかな死にたいという願いの
底にあるみなぎるほどの生きていく希望を血に
まみれた両手であなたとわかりあえたら私はも
う、風を犠牲にせずに済むはずだ。あなたがい
るなら。ともに生きていくと誓いあったなら。
けれどもしも、私からあなたが剝がれていくと
き、引きとめようとする私の意志が陽の光の光
とともに溶けていくだろう。私にはもう、あな
た以外の拠り所などないのだ。ましてや捌け口
など。風を生みだすのはあなたと私。ふたつの
世界。その先に続いていく未知の鼓動のために

ふと、昔のことを思い出した。私は何故か、誰かを泣かせることが好きだった。親や教師や友だち、自分のために泣いてくれる人が好きだった。泣かれることは快感だった。アトピーで被れた皮膚を搔き乱すように搔けば掻くほど止まらない快感だった。まず、面白かったのは父親だ。普段は愛人の家に入り浸っていて、ろくに会社にも行っていない父親が、私が自転車で転んで顔に怪我をしたとき、大粒の涙をこぼしていた。私は反省などしていなかった。心のなかで「ざまあみろ」とほくそ笑んでいたのだ。それが当たり前だった。父親は目の見えない母親を泣かせて、好き放題に生きていたのだから。私がそんな父親を赦せるはずがなかった。私はどんどん父親から逃亡していった。逃亡しながら父親を排除する術を学んでいた。そんなとき、転機は訪れた。父親と母親の離婚だった。私はもちろん母親についた。父親についていったなら、大学はおろか、高校まで満族に卒業できなくなるところだった。父親のもとにいたなら、今こうしている時間は無かったと思う。
しかし、私は父親と別れてからも、父親を自分のなかから排除しきれずにずっと悩んでいた。強烈におとずれたのは激しい父親コンプレックスだ。だから、一番最初に勤めた会社では苦痛だった。大企業で、しかも自分の父親と同じぐらいの上司や先輩がごろごろいる。
私は普通にしていたけれど、そのなかで人間関係に激しく戸惑っていたことなど誰も知らない。三十も後半になった今は、父親コンプレックスもだいぶ落ち着いている。今の職場が大体同い年の女性ばかりだし、仕事さえやっていれば喜ばれるので余計な気をまわさずに済むのだ。母親は、「結婚相談所の事務なんて、すぐ潰れそうな会社、あと三年ぐらいで辞めなさい。四十になったらまた転職しなさい」などと悠長なことを言っている。私には転職する意思はない。今ある仕事を大切に生涯を貫いていく、それが私の生き方だと信じている。結局は父親も母親も、誰一人として私の理解者ではないのだ。私の理解者はただ一人。私の彼だ。彼は教えてくれる。「仕事に貴賎はない」と。どんな小さな仕事も大切にするようにと。私は彼と出会えて幸せなのだ。けれど、自分の家で母親と向き合っているとき、何故か亀裂のようなものをうすうす感じるのは何故なのか。母親の優しい気遣いも真綿にくるんだ針のようなものを感じる。もともと、母親の家系自体がそうなのかもしれない。お金に翻弄されてきた人たち。お金だけを守ってきた人たち。母方の祖父母のことは大好きだったが、どうも母親の家系の人間とはやりにくい。私は、生まれ持っての心の天涯孤独なのかもしれない。自分をコントロールできるのは自分しかいない。この真実を私は誇りにしている。

                     2017.11.8(Wed)


散文(批評随筆小説等) 心の天涯孤独 Copyright あおい満月 2017-11-08 03:46:52
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