たもつさん「サイレン」を読んで(感想文)
ベンジャミン


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僕は批評なんて書けないよぅっていつも思ってます。
でも、読んだ詩について感想を持つことはとても大切だと思っていて、そしてその感想を書き表すことも、とても大切だと思っているのです。なんせしっかりと記憶に残りますからね。

そんな前説はさておき、たもつさんのこの「サイレン」という作品はとても素晴らしいというのが僕の感想です。(これで終わっちゃいそうな勢いだが、、、)
気を取り直して続けます。
この作品でまず興味をひいたのが、冒頭の「覚えてる」という切り出しです。「覚えてる」といきなり言われてしまった僕は、まるで暗示にかかったように自分の記憶の入り口を開いてしまいました。そして続けざまに、「ちょっとした仕草」や「身体の匂いとか」が表現されていて、漠然とではありますがその情景を思い描いてしまったのです。しかも(これは全ての連について言えることなのですが)その描写は一枚の絵を仕上げるほどには語られていないのです。読み手である僕が推測するまでもなく、自然と僕自身が持っている記憶の断片とつながってしまうんですね。そうやって、2連目3連目に続いてゆくわけですが、ここらへんはとてもほのぼのとした語り口で綴られていて、たとえば「小さな食事」とか「今年は甘いなあ」なんていうセリフとか、ともすれば中だるみしてしまいそうな場面の移り変わりをさりげなく演出しています。
そしていよいよ最終連(4連目)に突入するわけですが、ここでまさに鍵をにぎる言葉が出てきます。

「君の記憶のほんの僅かを
 僕は自分自身の記憶として引き継ぎ」

4連目の頭二行に出てくる「記憶」という言葉、その「記憶」という言葉で、冒頭の「覚えてる」という切り出しからの一連の場面を、時間的なずれも飲み込んであたかも一枚の絵のようにくっつけてしまっているように感じました。
各連はけして冗長に語られず、それぞれ完成しない絵のようであるのに、通して読めばそれが一枚の絵のようになっている。しかもその絵は、読み手である僕自身が自然と描いてしまっているわけです。場を限定してしまうような言葉は使われていません。作者であるたもつさんの見た情景でありながら、それを作者の目を通さずに描くことができます。
それが、この作品の最大の魅力ではなかろうかと僕は思いました。

余談ですが、、最終行「他にすることがなくなってしまう」なんて言われたら、ポイントするくらいしか読み手の選択肢は残らないような気がするのは僕の気のせいでしょうか?

   


散文(批評随筆小説等) たもつさん「サイレン」を読んで(感想文) Copyright ベンジャミン 2005-03-12 10:11:52
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