こけし
渡辺八畳@祝儀敷

上品に澄ました顔のこけし こけし
ほほえみながら くるくる
軸を中心にしてこけし くるくる
和洋折衷な旅館のロビーで
置物達の中に並んでこけし
くるくる くるくる
かわいいこけし くるくる

小さな男の子がこけしを見る
回る台座にも乗っていないのにこけし くるくる
じっと見つめている
古時計がぼーん ぼーんと鳴った
ロビーに窓はひとつも無く
換気扇も動いていない
ロビー全体をほこりが薄く覆っていて
棒状の蛍光灯がじじじと照るだけ
両端に続く廊下は先が無いかのよう黒くて
その中で非常口の人型だけが浮かんでいる
緑の彼は黙して見張っているかのようで

真っ赤なロビーでこけし くるくる
男の子は他に誰もいないこの中で
回るこけしに目を奪われている
胴体の線模様がゆらりゆれて
細めた瞳とときどき目が合う
それは男の子を誘惑しているかのようで
くるくる くるくる
ひとりでに回るこけし
動力などもちろんない
くるくる こけし
かわいいこけし
くるくる くるくる
棚とこけしの底がすれて僅かに音が
くるくる かわいらしく
ほほえみながら 男の子の前で
回転し続けるこけし
木彫りの熊や市松人形
他の置物達は無機質然として動かないのに
こけしだけはちらちらと男の子を見て
男の子を見入らせて くるくる くるくる
空気は乾燥している
自販機のビールは無視を決めこんでいる
合皮のソファは憐れんでいる
靴箱はもはや目を塞いでいる
こけしはくるくる
誰もいないロビーの中で
男の子の前だけで
踊るように 誘うように
降ってもいないのに雨音が聞こえてくる
くるくる くるくる
かわいいこけし
そして男の子
真っ赤なロビー
くるくる くるくる
くるくる くるくる
くるくる くるくる

お母さんが男の子の名前を呼んだ
我に返って、はーい、と返事をしたときには
こけしはもう回っていなかった
ほほえみだけは男の子に向け続けて

男の子は自分の家族が泊まる部屋へと帰っていった


自由詩 こけし Copyright 渡辺八畳@祝儀敷 2017-07-20 23:09:25縦
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