小説家小説
水宮うみ

紙山文章は書きあぐねていた。小説のネタが思い浮かばないのだ。
気分転換に積読している本でも読もう、と積読本の山を物色していると、ある作家の私小説が目に留まった。私小説は書きやすいとよく聞く。文章は思う。そういえば、私小説らしい私小説を書いたことがない。だが私小説を書くのは何となく恥ずかしい。しかし他にネタもないので、文章は早速小説家についての小説、つまり私小説に少し近いものを書き始めてみることにする。題名は、とりあえず仮に『言葉の降る朝』とした。

『私は文字。山本文字。小説を書くのが趣味で、ネットに作品を投稿したりしてる。文字は文字を書くのが好きなんだな、なんて、半笑いでよく言われる。からかいやがって!
閲覧数が伸びると純粋に嬉しい。別に閲覧数が伸びたってお金が入ってくる訳でもないのにね。
趣味は散歩。年寄りくさい趣味ってよく言われるけど、これがないと私は小説を書けない。田んぼが陽の光に当たってきらきらしているのや、池でカメが日向ぼっこしているのをぼぉーっと見ていると、自然と誰かに伝えたい言葉が出てくるんだ。その伝えたいことをパソコンに打ち込んで、悪戦苦闘四苦八苦すればいつの間にかそれなりに形の整った小説ができる。そんな風にして私は小説を書いている。私にとっては太陽の光がアイディアの元だ。晴れた空から言葉が降ってくることに、何故だかみんな気付かない。
私の代表作、というか一番閲覧数が伸びた小説は『光を失った小説家』。盲目の小説家、説話文学が主人公の小説で、ある事故により失明した文学が、それでも小説を書きたいと思い、編集者に自分の考えたお話を聞いてもらい、それを文字に起こしてもらうことでまた小説を書くことができるようになるというお話だ。その後編集者の女性と恋に落ち、その女性とともに幸せに暮らすようになる。それ以来どう考えてもその編集者をモデルにしたとしか思えない小説を立て続けに書き続け、恋って盲目だね!みたいなオチの小説。
今書こうとしているのは、手書きに拘る小説家の話。だからと言って、そのお話自体を手書きで書いている訳じゃないよ?
私はパソコンで書いてる。私に限らず、今どき、文章を書くのが趣味の子のほとんどはパソコン等を使って書いていると思う。だってそうじゃないと、インターネットに投稿できないし、データを簡単に人に渡すことができない。インターネットに投稿できない文章の価値はどんどんなくなっていってる。今のこの便利な時代に手書きの小説に拘る人がいたとしたら、どんな人なんだろう、って散歩中にふと思って、試しに書いてみてるんだ。パソコンを使ってパソコンで文章を執筆するのが嫌いな人を描くのは、どこか不思議で、書いていてなんだか楽しい。』

とここまで書いて、文章は一息つく。さてこれからどうしようか。山本文字はこれから何を考えるだろう?
とりあえず、夕方なので犬の文庫を散歩に連れていってやらねばならない。そう思って玄関に向かう。すると、窓の傍でうとうとしていた文庫がしっぽをヘリコプターみたいにして近寄ってくる。
はふはふ言っている文庫に首輪をつけて、外に出た。
海のザザァという音が微かに聞こえる。文章の家は海のすぐ近くだ。
文章は、手書きで小説を書いている。何故かと問われてもよく分からない。あえて言うなら昔からそうやって書いてきたからだろうか。
文章はもう若くはない。老人と言って差し支えない年齢だ。最近散歩を長時間するのが、少し辛くなってきている。
さて、自分が書いている存在だとは言え、文字は手書きで小説を書くことに、どんな意義を見いだすのか。鉛筆で小説を書く者として、少し楽しみだ。
そんなことを思いながら歩いているうちに、だんだんと海の音が近づいてきた。季節は初夏。これくらいの季節になると、海へ着いたら文庫を好きに泳がせてやる。文章の住んでいる所は交通の便が良くないので、それほどたくさんの人は海に遊びにこない。犬一匹好きに泳がせたところで誰に迷惑がかかる訳でもないのだ。文庫は文庫本みたいに小型な犬のくせに、とても楽しそうに上手に泳ぐ。
文庫が泳いでいる間はひまなので、いつも砂浜に文字を書いている。さて今日は何を書こう、と木の枝を手に取り、普段文字を書く場所を見ると、なんと既に先に誰かに文字を書かれていた。
「いつも綺麗な文字をお書きになりますね」
こう書いてあった。見られていたのか、と少し恥ずかしくなったが、それよりも、その筆跡が美しいとは言い難く、書いている内容とは真逆でなんだか笑ってしまった。

『私、分かった。手書きで文章を書く意味。手書きで小説を書く人はきっと、世界(インターネット)より、目の前の君に、自分の筆致の文章を、直接読んでほしいんだろうね。たくさんの人に見て貰うより、今この瞬間、大切な『あなた』に読んでもらうために、小説を書く。それはどこか、物語を介したラブレターに思える。パソコンに打ち込んだ文字はいくらでも複製できるけど、手書きではそれはできない。もしも仮にこの世界が文字で記されていたとして、パソコンと手書きどっちで書かれていたほうがいいかと言えば、下手くそでいいから手書きで書かれていたほうがいいって思わない?
手書きにはきっと、唯一無二の愛情を込めることができるんだよ。』



散文(批評随筆小説等) 小説家小説 Copyright 水宮うみ 2017-07-03 20:26:51
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