日々
飯沼ふるい

これは
むかしむかしとちょっとのいま
真夏の壁に
交響曲が残照して
鋭くないガラス片と
青臭い血潮の
散った 咲いた
青春末期のお話で



顔の
みぎはんぶんが
麻痺している
先週の日曜からずっと
女児の乳房のようなしこりを
ほほに感じる

生きることの かたすみにおいやられた
さみしさが引き起こした病だろか
死を予兆する脳の異常だろか

冬、風邪をひいたとき、原因不明、疲労やストレス……
お医者さんは
ほほの強張る原因のいくつかを
指折りながら説いた

しかし原因不明って

それから帰って
熱い湯に浸かった
すぐ近くの
二車線の県道を走り過ぎていく
車の音に紛れて
大太鼓の音が響く
夜の町の底から
湯気でやわらいだ耳朶の奥へ
染みていく

駄賃をえさに
集会所に集められた子らが
例大祭のために稽古をしているのだ

いつかのぼくが顔を覗かせ
小太鼓はふたつ
大太鼓はひとつだけ
練習用の古タイヤはたくさん
     すべてぼくには遠のいた
     いつか
タイヤを打てば ぼこぼこ
     それもまた
     いつか

思い出とか人生とか
そういうやつ
重なり、交わり、すれ違い、知ることもなかった
体温や匂いの遍歴が
無思想な裸体から切り離され
衰えた視力の先 あるいは奥底に
ぼんやり浮かぶ

湯船でうるかせども
剥がれはせず
時間とともに乾けども
剥がれはせず
積み重なる瘡蓋が
一枚、二枚、
なるほど
面の皮の厚くなるわけで
しかしうまく笑えないから
なんとなく
出口をふさがれてしまった感じがする

 去るもののために開け放てば
 笑顔のさみしい老人のような空虚が
 埃を食みにやってきて
 とどまるもののために閉めきれば
 蛆のように湧き出てくる紛い物らが
 盆踊りに狂いだす

 開け閉めする
 そのたびに
 錆びた蝶番の軋む音が
 ひとつの塊として具現化し
 力尽きた花弁のように
 落ちていく

そのなかのぼくか
それをみるぼくか
とかく「いつか」ばかりが
ふりつもる
灰ばかりか
窓のない部屋
空想の語彙たちが
地層を築き
なだれて
明日へ結ばれない
空騒ぎの独り言
もういいかい
まぁだだよ
ぼくはもう
のぼせる寸前だけども
いつもその暗い部屋の壁に
爪痕を残そうとして
あれもそう
半年前の夏の夜のことだ
10年も前の恋人と
10年越しに手を繋いだ
それから
ふたつの熱が
誰に知られることもなく
口と口とで混じり合い
馴れ合うために準備してきたような
半端な孤独を分かち合い
初恋の懐かしいぬくもりを
大人のやり方で確認しあっても
見えない文字で埋め尽くされた
空白の過去が
さきへ進まんとする足を掴んで離さなかった

好いている人の体を
いつまでも抱きしめていたいという
あの愛情も
いっそ射精のように
苦海の芥として消えればいいのに
どうしても肉体を超越しえない
ぼくのなかだけの処女が消えた
いつかあの日
流星群が夜を眩しく傷つけた
いつかあの日

顔を拭う
みぎの頬をなでまわす
これを書き倦ねているあいだに
季節は晩夏から
秋をまたぎ
年を越し
根雪の溶けない冬をやり過ごし
なまあたたかい春を迎えてしまった
半年以上も湯船に浸かっていたのだ
いい加減風呂からあがり
体の冷え切らぬうちに床につき
目をつむる
やがて瞼の裏に
血の通う
朱いあかるさを感光すれば
ようやくひとつの朝
うつろいゆく時間に紛れた
うつろわざる情念がひとつ
煮えきらないまま胎動している

窓を開ける
春のにおいがするが
ここを書いているときは
二月の始めだったから
その眼球や口腔
不自由だったみぎのほほへ
冷えきった空気が無遠慮に触れてきたとおもう
耳をそばたてると
となりで眠る人の寝息が切ない
これを書き倦ねていると書いてから
さらに時を経てもまだ書き倦ねているあいだに
二人で暮らし始めていた
ていうか籍もいれた
なんだ「空白の過去がさきへ進まんとする足を掴んで離さなかった」って
数十行に圧縮された時間の密度に恐ろしさを感じる
いまやもう
頬の強張りなんて忘れてしまい
こんなにも優しい朝のために
涙があるのだ、なんて
太鼓の余韻に浸る夏の暮れに想った
いつかぼくの浪漫の話で
なまあたたかい日射しにまみれて
煙草をふかふかふかふかしている
いまのぼくにとっては
閉じきることのできなかった瞼ゆえに
眼球にぢかに凍みいってきた
冷気ゆえの涙にすぎなかったのだろう
浪漫もなにもありはしない
このように
好いた人のうなじや胸の
やわらかい筋肉や脂肪も
いつか
ぼくの言葉に混じった
ヤニ臭いため息で腐っていくだろう
ぼくという人間を
自ら組み立てていこうとする
数々の言葉に疎みながら
呼吸のように
ただひたすら
「いつか」を思う
けれど
生臭い情念のために掘り返される日々よ
ながながと書いたがそろそろオチをつけよう
僕はもう
おはよう、
おやすみ、
そんな単調な言葉をくり返して
あしたのためのあしたへ臨みたい
なんのかなしい修辞もいらない
ただのあした
そこにある
言葉にならない言葉の空隙を
すぎた時間のひび割れを
幸福のための祈りで満たしたい


  線香を焚くために燃やした新聞紙が
  黒くもろい塵となり
  墓地の澄んだ上空をふわふわ舞った


幼いころみたそんな風景が
やさしい隠喩をともないよみがえる
おはようと言う
今日は晴れている
それだけの日々


自由詩 日々 Copyright 飯沼ふるい 2017-05-30 10:39:34
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