月の町 お題、即興ゴルゴンダ(仮)より
田中修子

月の町には丸い月のしずかなあかりが射していて、住むのは齢三十をこえた少女ばかりだ。

つねに満月夜、手入れのゆきとどかぬぼろぼろの町並み、つかずはなれずに点在する住居は、彼女たちのそれぞれのこだわりを反映して、本の、ぬいぐるみの、ロザリオの、愛らしい服のあふれたへやべや。
ひかる虫をおびきよせるにおいをしみこませた布切れが月の町どおりにも部屋の中にもあふれるようにおいてあって、そのにおいのもとは彼女たちの唾液だ。

そうして町角のそこここに鏡があり、月あかりと虫あかりと彼女たちの白い肌を無限に反射し、月の町にはしずかな狂気がみちている。彼女たちはものを食べない、食べれば吐くので壁に浮く白い塩をすこし舐める。そうして喉の渇きがひどいので町の真ん中にあふれる噴水に直接口をつけて腹がふくれるまで飲む。時たまのごちそうはバケツにためた季節の甘い雨水だ。
太陽にあたらずむだな栄養をとらなかった結果、年齢のあらわれやすい首元さえどこまでもなめらかで、年をあてることは難しい。ただ、あの少女は月の町に入ったときから、同じ姿でもう数十年いる、と、遠くの町の監視塔から月の町をのぞく監視人が胸につぶやくのだ。

彼女たちはおのおのすぐれた能力をもっていて、月の町に出される手紙にこたえることで外の世界とつながっている。町の住人になりたいと手紙で乞う、ほかの町のほんとうの少女たちに、

《きっとあなたをそちらで愛してくれるだれかが見つかるでしょう》《からだがあつくて不眠なのなら薄荷の葉をすこし浮かべたお風呂にはいりなさい》《おとうさんとおかあさんのことはもう他人だと思いなさい、ふれるたび燃えるのはあなたです》

などとこたえて、ほんとうの少女たちが月の町におちることをとめている。
それゆえ月の町の彼女たちは、ほかの町の住人のおとなたちに貴重とされた、矛盾の存在だ。

息のしづらい外の世界のほんとうの少女たちにとって、うわさにきく月の町は静寂と平和に満ちたあこがれの世界だ。たしかに一見まぼろしのように美しい町だ。無遠慮な男編集者によって、ときおり少女雑誌や少女小説に、少女のゆくすえの町として絵入りで紹介されるほどには。

しかし、実際に月の町に住まう彼女たちに聞くと、来たいと願うことはあまりなかったのに、気づいたらここにいて、出られなさに命を断った町人たちも多い、とほほ笑みながらいう、そのほほ笑みはほんとうに無垢だが、どこかおそろしい。

化け物そして精神異常者の女の町ときいて、淡い幻想を抱いて好奇心でやってきた男たちもいる。

《こころに傷を負った妖精さんをささえたいのです、そうしてぼくを受け入れてください》《あたしもほんとうはこの町に住む資格があるんだわ、性器を切除さえすれば》《いままで病気の女の人をたすけてまいりました、そういう人なしに俺もいられない》

その男たちもまたじっさいのところ、精神の奥底の部分に奇形を抱いているのだが、

《もしかするとやっとわたしたちを理解してくれる男があらわれたかもしれないわ》

と、はじめ熱狂的に彼女たちに受け入れられる。

だが、長く彼女たちといられた男はいなかった。まず、食事ともいえぬ食事に閉口し、微笑みをたやさぬ口元に隠されている彼女たちのにえたぎるようななまなましい感情に落胆した。
じっさいのところ彼女たちはみな、みためより、そして心の奥底の弱い男よりも、たくましかった。怒ることも、笑うことも、月あかりをかき消すような激しさだった。なにしろ月の町にながくとらわれ、友を失い、この世のあらゆる傷を手紙で知りながら、生きているのだから。

《妖精さんがぼくのものを受け入れてくれない》《あたしのこと結局は男だと思っているんだわね》《病気の女の人はけっきょく自分がいちばんなんだな》

そんなぼやきを聞くと、たちまち彼女たちの心は、窓をつたう雨粒がほかの雨粒を飲みこんで大きくなるようにまとまった。それぞれにこだわりがはげしく、ときに仲たがいをすることも多い彼女たちだが、こういったときだけは自分が他の少女で、他の少女が自分なのだった。

《性欲異常者》《オカマのオッサン》《そういうあなたも病気よ》

扇で口元を隠しながら、気の毒そうにくすくすと笑う。笑い声はこだまして大きくなり、笑い声にふくまれる唾液が香をましてひかる虫をあつめ、空の雲をはらって月はよりいっそう光った。

あらゆる町角に男たちの姿が鏡にみすぼらしくうつしだされた。月の町に入ったばかりのときは、彼女たちの幻想に化粧されて王子のように美しくなっていた姿が、昔より老いてより醜い姿になったのをみて、わけのわからぬ恥に震えて彼女たちに手をあげた。

《ぼくのイメージがこわれた》《メンヘラたちめ》《こんなにもしてやったのにどうしてくれる》
《化けの皮をはがしてやった!!》

彼女たちは悲鳴のような歓声をあげる。

《もうこんな町はうんざりだ、もといたところに帰ってやる》
《どうぞ、どうぞ》

遠くの町の監視塔から月の町をこっそりとのぞいていた監視人が、驚いて声をあげてただちに月の町の門扉へと取締官を派遣した。

《きたならしい男がすごい形相で手をあげていて、月の町の少女たちがおびえているようです》

じっさいは彼女たちがみてきたものはもっとおそろしいもので、男たちが変貌することやそれにすこし恐怖することなど彼女たちのうちには娯楽のひとつだった。ひとりではない、硝子窓を流れるとうとうの洪水の彼女たちが、友を失うことのほかになにを恐れることがあろう。男たちは取締官が到着するちょうどよいころに、月の町から少女たちに放り出され、捕縛されてうめき声をあげた。

月の町のそんな色恋沙汰を食って、空にうかぶ大きく冷たい石ころの私は、今日も白く肥えて大きく光ることができる。私に照らされた、ほんとうに無邪気な少女と腫れあがった男こそ、月の町のあたらしい住人にふさわしい。

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即興ゴルゴンダ(仮)さまを覗いてでていたお題「月の町」をみていたらむくむく妄想が浮かんだんですが、とっくに締め切りを過ぎていたのでした。


散文(批評随筆小説等) 月の町 お題、即興ゴルゴンダ(仮)より Copyright 田中修子 2017-04-23 20:38:26縦
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