淡水系
ただのみきや

――ミルカ ヌカルミ

そんな回文が虻のように掠めた時
女のなにくわぬ横顔は真新しい日記帳で 
天道虫だけが慌てて這いまわっていた
とても大切なものを落としてしまい
それがなにかも思い出せずに
同じ黒子とほうれい線を巡り続けている
自己の喪失を償おうとする男の
ピエロじみたスタイル

少量の砂糖を入れてかき混ぜる紅茶のように
確かに日差しは秒針をうまく包みこんではいたが

朝出かけて行った隣の家の洗濯物が降り出した雨に濡れて
きっと深夜までそのままだと想像できる 
そんな気分にさせる長話だったから
帯を解いて 「えいっ! 」 
引っ張れば独楽のように 季節もまわれば目もまわる
やがてふわりと着物は舞って
時の波間に漂い消えていった
女のからだはバラバラと崩れ
肉塊や臓器は地面にこぼれ落ち 途端に
すべてが水になって流れた
残されたのは一匹の鯉 
黒々とした鰓で喘ぎ
ぱくぱくと言い尽くせない想いは泡となる
みやびやかな言葉のペルソナが内なるものを覆っていたから

卑下の専門家がやってくる態度だけの友人が
そいつを活造りにしようと笑っている
「――皆で突っつこうじゃないか 肴として」
おれの趣味じゃなかった
生きたまま泳がせたい
尾ひれ背びれ胸びれが揺れる様子を目で追いながら
薄紫に煙る意識と無意識の境目の辺りに浮かべていたかった
鯉にロマンチックな想いは持っていない
ただのセンチメンタルだ
卑下の専門家は執拗に包丁を入れたがる
一冊の本をばらして単語の数や接続詞の数を調べるように
そうして自家製ソースをかけまくり
なんでも手前勝手な味付けにしてしまう
おれは舟盛りにされた鯉の活造りを想像した
そしてすぐ舟盛りにされた女の活造りも
ぱくぱくと喘ぎながら抗議すらできない無表情の悲しみが
顔を隠して宴席に連なる自称食通どもの箸で慰みものにされる
どうにも気に入らなかった
だからつまらない専門家のベルトを引き抜いて
ズボンを下ろしてやった
すると男もバラバラになり
すべて水になって流れていった
残されたのは一匹の鯰
髭を掴んでどぶ川に放ってやる
正当性をあしらった継ぎはぎのペルソナに是非はないが
自己実現のための免罪符は砕けても黒曜石並みに鋭かった

嫌な詩会になってきた
淡水系の集まりにやって来たものの
比喩のぬかるみに思考を掬われ糸がほつれて往く
次に裸にされるのは
やはり おれか
逃れることはできない同類なのだ
この戯言のモザイクを外されたら一体なにが現れるのか
どじょうは嫌だなんとなく
スッポンも嫌だスケベな感じがして
ザリガニはダメだ頭が悪そうだし
毬藻げんごろうヒキガエルどれも気に入らない
だけど見出だすのはおれじゃない誰かだ
すべてが水に帰し
そこに残ったなにかが
なにであったかなんて
もう気にすることすらなくなったなにかがおれなのだ

胎児のようにどこかに繋がったまま
ゼラチン状の星雲が一斉にまばたきして

ああペルソナよ切れ切れに朽ちて道端の花の根に添い寝しろ
水の素足に微睡みながら二度と語らない揺らめく心の断片として

気がつくと女の頬に書いていた
開かれた日記帳から淡水のの響き
白雪姫が見ている
夜叉ヶ池の主が


   
*「夜叉ヶ池」は泉鏡花の戯曲。
   「白雪姫」は戯曲に出てくる龍神の姫の名。



                  《淡水系:2017年3月22日》










自由詩 淡水系 Copyright ただのみきや 2017-03-23 00:05:01縦
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