心の在り方
水菜
【あなたが、詩をかきたいのならば、 こころをかぎりなく透明にそめあげて
澄んだ思いで
そそいだあとの綺麗なくちもとで、
かぎりなく純粋な気持ちで、
そめあげた想いをかきあつめ
そのまま表出し
そのまま感応のなかうかびなさい
ああよい詩だ と、
わたしはその表出されたものを目にして
ただただ、 そうひとこと、呟くでしょう
その境地にいきついたかたしか詩的境地にはいたれない
わたしの目の先にはまだまだとおくそのようなものはみえてこないが
かぎりなく純粋な魂の表出のさき、かならず詩的境地はうかぶでしょう
ああ、よい詩だ と
ただひとこと呟くでしょう】
詩のことばこそ、純粋な内側の心の表出だと、そうでありたいと、私は、思っています。
だからこそ、私は、自らの内と表出することばが擦り合い、おなじになった時しか、詩として表出しようとは思えない。
詩とは、私のなかで、心のふるえをことばとして形にしたもので、それらは、淡く、破壊されやすいからこそ、心で補強する必要があると考えるからだ。
心に、あらゆる攻撃されやすい、負の感情を染みこませなくなったとき、私のなかに青い海が広がり、私は、そこで初めて、純粋なそれを自らの口にすいこむことが可能になるだろう。
それは、魂のふるえ。
そのような境地へ、いずれ辿りつきたいというのが、私の理想であり、
到達することが可能になったなら、その場で死んでしまって構わない。
私は、純粋な青い海のようなそれを、いつか口にすいこみたいという理想をみることのみで生きている。
それが、私の生きる意味だ。
ほんとうに、それだけ、だ。
散文(批評随筆小説等)
心の在り方
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水菜
2017-01-26 02:33:07