プレイ中のしっぽの長さ
次代作吾

猫がぱくっとかえるを咥えて飲みこむ。そういうことはよくありうることである。猫は垣根なくやり、人間はたまにやっては垣根に足をひっかける。猫のようにはいかない。あちらをやるときは、こちらがお留守、こちらをやるときは、あちらをクローゼット。ある種、人間種、かわいそうなものである。猫は本能を恥じない。うんちするときはあっち向いてての様子。うんかわいい。人間は社会性という名のもとに本能を恥じる。プレイ。ゆえに本能の味も百倍二百倍の旨味に、錯覚し行動し、のは、仕方がないとして、ひどく退屈で何度も見飽きて、それ何周目、まともな人間なら閉口するが、まともがバレたら殺されるとでも言うのか、そうとしか思えないような見合って見合ってバカみたい。それが案外日常というやつの正体かもしれない。と、確信しているくせに、かもしれない、という言葉を後ろに持ってくる、これもプレイ。あらゆる妖怪が人間世界から失業したように、あらゆるドラマが失業する。証拠はぱくっと猫が咥えて、すばしっこく、まっすぐ向こう側、その背中が楽しそう。なぜなら人間をやっている私が、等しく人間に向かって書いているのだから。だからこれは、空中に向かって吐くツバの、重力に引き戻されて、自分の顔にかかる前の、寸前の、瞬間の文章であり、それに過ぎず、また瞬間というものは、伸ばそうと思えば、まだまだしっぽの具合ぐらいには伸びるものである。


散文(批評随筆小説等) プレイ中のしっぽの長さ Copyright 次代作吾 2017-01-19 22:17:20縦
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