その血もまもなく滅びようとしている
天野茂典



 

  父は帰ってこなかった
  後で知ることになるが
  街の花柳界で板前として働いていたようだ
  華やかなところだから飲む賭つ買う
  生活を送っていたらしい
  ぼくたちはそんな花街から遠くはなれた
  田舎で母子と暮らしていた
  家も何件もない荒涼とした台地だった
  ぼくたちは父の帰りを待ちわびた
  何日も
  何週間も
  何ヶ月も
  父の帰りを待った
  
  父は突然帰宅した
  街のお土産を持って
  そのなかでぼくは烏凧が気に入った
  父を外へ誘い出し
  風を待って
  凧を飛ばした
  父の飛ばした凧は相模野の台地を
  勢いよくひゅるひゅる大空に舞い上がった
  青空の下 凧と台地だけが黒かった
  凧が安定して飛ぶようになると
  父はぼくの手を取って凧糸を引かせてくれた
  凧は次第に大空の染みのようになって行った
  父の手の感触はもう忘れている
  トランペッターでも会った父の手は
  そう荒れるはずがない
  荒涼としたこの相模野の台地で
  父の吹くベッサメムーチョがBGMとして鳴っていた
  父と子ははしゃぎまわった
  お正月のようだった

  父が逝って33回忌も過ぎた
  一介の寿司屋の親父として58歳で他界した
  父の年令を超えていまぼくはいきている
  子どもはいない
  妻もいない
  生まれてくるとき人はひとりで生まれてくるように
  死ぬときも一人だ
  理屈では分かっていてもやはり怖い

  あの烏凧はいまごろどこを飛んでるのだろう
  人生は回収できない
  あの烏凧も回収できないまま
  大空でトランペットでも吹いているのだろう



  父の血はぼくが受け継いだ
  その血もまもなく滅びようとしている


             2005・02・16  



未詩・独白 その血もまもなく滅びようとしている Copyright 天野茂典 2005-02-16 18:07:52
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