心理学にフロイト主義なるものがあるのか—フロイト評論②
銀馬車でこい

前段においては、ジグムント・フロイトにおいての主流と言うべき批判主義について、或る出版物をみてのことだったが、それについてフランス精神医学が特に根強いとの言及した。もちろん、出版当時をめぐっては、ヨーロッパ各国を巡っては,批判が大規模にあった形跡が多数あるだろう。その批判主義的な見方を、第一点、フロイトが主に活動していたオーストリア・ハプスブルグ帝国を巡る地勢的な要因と、第二点、ジグムントフロイトの「心理的抑圧」を巡る「夢判断」「精神分析」における懸念において,極々事実的に検討して行きたい。

ジグムント・フロイトについては、精神医学界という括りにおいては、かなりの評価をその精神領域の問題処置対処療法の自説において、大規模に肯定的に捉えられている。しかしながら、全面肯定的に捉えるのかどうかというところにおいて、「夢分析」「精神分析」の資料の評価判断を巡っては、随分、差違を認めている。ここでは,全面肯定的に捉えることが可能であるという立場を批判することにする。それについては、性欲の意味信用を肯定したフロイトの批判主義が、あることを評価すべきであるとの立場である。したがって、国際精神分析協会設立初期にフロイトを離れたカール・グスタフ・ユングについては、批判主義というよりは、住み分けのような立場であるとの評価である。それ以上は、紹介できないので、申し訳程度にての紹介とさせて頂きたいと思います。当時のフロイトについてもユングについても、それぞれ精神力動療法そしてグループセラピー療法の帰着として、療法の住み分けから生じたそれぞれの意見の最大限の尊重があったに過ぎないと解釈します。

ジグムント・フロイトは、その「性欲論」について、その「異端」の烙印を何度も垣間見ることによって、「精神病理」そのものの問題視を忘れなかったとは言えよう。それだけに、フロイトは「夢分析」「精神分析」においても、批判主義を大きく認めていた。あるいは批判主義について大きく警戒感を緊張感に換えて、その思想を、参考文献まで高めようとする意志を忘れなかっただろう。フランス精神医学においては、そういったフロイトの汎性欲論をかなりの批判主義を認めていただろう。出版当時においては、ますます、プロイセン帝国及びフランス共和国及びロシア帝国及びイギリス王国及びイタリア王国においては、オーストリア・ハプスブルグ帝国との国家間緊張が揺るぎないものであったに違いなく、フロイトの汎性欲論は評価できる点があるにしても、国家間緊張の中で執筆された点など冷静さを欠いていた可能性はある。したがって、人間心理の考察範疇が、特定の異性間関係の言及の限定をしていた、フロイトの汎性欲論は、意識論の結論だとしたら、当時は,大いにやぶさかではなかった。逆に言えば、戦争の国家間緊張の中、戦争論を汎性欲論として切り替えた機転は、やや鋭く一定の評価と意識論の結論としては当時としての情況的な正しさがあったのだろう。しかしながら、当時の第1次大戦前夜に至る道を省みてみれば、同盟国のドイツ帝国とオーストリアハプスブルク帝国の領域外では、ジグムント・フロイトの言説の評価は、批判主義もって見るべきであると思われていたはずである。

以上のように、実にフロイトの批判はかなり簡明である。一方で、当時のフランス精神医学の領域では、フロイトより、ラカン、クレッペリン、アドラーの評価を高めていたようである。地勢上においての事実においては、19世紀末期から20世紀初期において、第1次世界大戦をオーストリアハプスブルク帝国は、特に、第1次世界大戦、陸続きのフランス共和国を初めとして、イギリス王国、イタリア王国に、包囲を受け、大戦後、帝国は解体した。民主主義は、東ヨーロッパ域に、フランス啓蒙思想でさえ,さらに広く流通していっただろう。絶対王政を認めてなお人間心理を考察しえていたジグムント・フロイトは、なお、厳しく人間病理に立ち向かうだけだったのかもしれない。その辺は、フロイトは、実に、フロイトは、戦争と言う最大の現実的な批評主義に敗北したとも言えるが、実に、立派な汎性欲論を残したと評価されたことは間違いない。

人間心理を研究したフロイトにとっては、戦争よりかSEXが平和であり人間の社会の夢を育むと、近世の国家間関係などは、きっといつも悲観していただろう。オーストリアハプスブルク帝国の崩壊とともに,フロイトの抑圧的な自己としてフロイトによって言及された「自我」は,「絶対王政」の自我として,「抑圧」の意味とともに葬るべきであった。それが「前近代」から「近代」への脱皮をできた「自己」であっただろう。しかしながら,絶対王政の「抑圧」的な傾向は,実際的な軍事的圧力によって滅亡することになった。これが,フロイトが記述しえた「抑圧」かと言うと全くそのような「抑圧」とは云えなかっただろう。

しかしながら,フロイトが「抑圧」的な自我について,フロイトが著した書籍の詳しい刊行期日と「第1次世界大戦」までに至る長期間に及ぶ軍事的な事件とその前後関係においては,詳しい期日までは,ここで言及できない。したがって,やや簡単な調査に及ぶことに致します。

心理的な抑圧とは何かということについては、絶対王政の心理的な残存、及び、戦争の火種のような存在だった可能性がある。一般的な心理論として,「夢分析」、「精神分析」が、思想として評価されようとしている点について、私は、それは、何も評価できないとは思う。フロイトが思想家だったとしたら、「戦争」そして「犯罪」そして「病理」そして「性欲」について思想したことになり、何も意味は無い。実に、科学者としての評価はされるべきだとは、はっきりと思う。思想として認めることにより、「性欲」については、あらゆる類推としてのアナロジーを認めることになり、実に、逆に「性欲」の意味信用を失うことになる。性欲を基本とした自我であるという論理的な帰着を、人間心理及び病理観察において一般化しえたことは、それにおいてのみ評価できるのだろう。心理的な抑圧については、人間が危機に対して抗しうる具体的な対処では決して無い。すでに,観察主眼として用いる精神論的な見方でしかなくなっていたはずである。今現在の人間心理考察においては、「心理的な抑圧」の意味化の発想は、意味をなさないと思わざるを得ない。それよりもなお、「心理的な抑制」と「心理的な解放」の意味の中で,人間は生きていると言えよう。実に相互理解において協調できる個性、自己主張、自己実現を行なう個性を、大きく認めてゆくための実際的な「人間心理考察」がより、必要不可欠だろう。

その後の、フロイト以降の汎性欲論により、はっきりと、継承して掲げた場所があっただろうことが確かである。それについては、中々書籍には出てはいないが、おそらくフランスにあったのではないかと著者は、思っている次第である。加えて,ヨーロッパにおいて,最も医学が古くからの先端域だったイタリアにも,根強かっただろう。特記しておくこととして,同時代に,エロスに関して,センセーションを巻き起こした文学運動が,イギリス,フランス,イタリアを中心に起こっている。それについては,汎性欲論の展開だったと言えよう。日本についても,当然のように,フロイトの言及に含みおくことに関わらず,汎性欲論と言うべき,文学運動は,数限りなく存在する。

フロイト批判においては、ずっと科学的な批判考察も大幅に認めていくべきであって、科学的な考察及び実験及び実証においては、日本においてのフロイト及び人間心理に関する言説についても、より人間的な立場があるという方向性を間違いなく見てゆくべきである。



散文(批評随筆小説等) 心理学にフロイト主義なるものがあるのか—フロイト評論② Copyright 銀馬車でこい 2005-02-10 20:24:32
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