旅人の会話
服部 剛
その人は大きく息をついて、腰を下ろした
――これは、何段あるんですかね…
――二百八十七段です、どちらからですか?
――高知です
――遠いですねぇ…僕は横浜です
傍らに、古びたリュックが置いてある
――これで幼かった娘と富士山を登りまして
――ずいぶん長持ちですねぇ…
――もうかれこれ二十年…今月、結婚するんです
――へぇ、それはめでたい
子宮筋腫だった娘さんは
身籠ってからというもの
不思議と腫れが引いたという
*
昨日僕が会った甲府教会の信徒は、言った
――自然は第二の聖書です
今日、僕が開いた本の中の僧侶は、言った
――修行僧は皆、自然を本と思い山に入った
その人のめでたい話を聞いた僕は、呟いた
――母の体は自然の宮のようですねぇ…
すくっと僕は立ち上がり
眼下にのびる二百八十七の石段を
携帯カメラの画面に、かしゃっと納め
よいしょっとその人も立ち上がり
古びたリュックを肩にかけた
――じゃあ、お先に
――良い旅を
寂しくも嬉しそうな初老の父の背中が
古びたリュックを揺らしつつ
段々小さくなり
五重塔の脇道に吸い込まれていった
自由詩
旅人の会話
Copyright
服部 剛
2014-07-18 23:00:21
縦