完全なる独り言
虹村 凌

野茂がいなけりゃ、イチローだってICHIROにゃなれなかったんだ。
忘れてんだろ、そこんとこ。頭おかしいぜ、てめぇら。

でも野茂が行かなくても、新庄はメジャーに行った気がする。
誕生日が同じだから援護するんじゃない。俺は彼が好きだ。
彼みたいな選手がどんどん増えれば良いと思う。
ストするくらいなら、自分の給料減らして球団を立ち直らせればいいんだ。
そんな事も出来ずに、涙を流した。
だから、のび太って言われるんだ。少し違うかもな。
俺は、黒いTシャツ着てるだけで「ホリエモン」と言われたよ。


ブラックストーンが吸えるようになった。
最初は、随分キツい煙草だと思っていたので、吹かしていた。
いつの間にか、吸い込めるようになっていた。



照りつける太陽は、いわずもがな若人のモノである。
照りつける太陽は、恋をする人の敵なのです。
深い闇やそれに浮かぶ月、電話BOXの明かりは若人の手がかりである。
深い闇やそれに浮かぶ月、電話BOXの明かりは恋人達の引き立て役なのです。

照りつける太陽の下で、若人は歌い、踊り、物事を知るのである。
息を弾ませ、脇腹を痛めつつ走る事。手を取り合って喜ぶ事。
裏切る事、裏切られる事。胸を叩く痛み。
そして、陽が暮れて、闇が世界を覆う時に、彼らは冒険に出るのです。
手がかりになるのは、薄い月明かり、電話BOX、チカチカの街灯。
若人は、美しい。風がなくても、自分で風を起こす術を知っているのだから。
だから若人は、青い春の真ん中で笑っているのだ。

でも、照りつける太陽は、恋をする人の敵なのです。
あの毒々しく照り付ける太陽は、意識を断絶させる、悪なのです。
でも、夜になり、月が見えると、彼らは夜を支配できるのです。
夜の闇も、浮かび上がる月も、電話BOXの明かりも、チカチカの街灯も。
全てを彼らは支配できるのです。全てが、彼らを引き立てるのです。


最近、風呂屋を見る機会が少なくなった。
駅から、あの長い煙突が見えたりすると、嬉しくなってしまう。
今じゃ内風呂があたりまえになってしまったが、風呂屋は健在だ。
江戸時代など、内風呂があると馬鹿にされたという。
公共浴場と言うものは、随分と昔からあるようだ。鎌倉時代あたりだったか。
トルコにもあったようで、その様子を書いた絵もある。
その絵が全裸の女性ばっかりだったので、「トルコ風呂(今で言うソープ)」
などと言われるようになってしまったのだろう。
ああずれた。
そう、風呂屋。
関東の風呂屋は、奥に浴槽があり、手前に洗い場がある。
入り口ちかくが下座、浴槽近くが上座、となっている。
年下は下座、年上が上座に座る事になっている。
マナァ。
桶がひっかけてある場所は使わない。
合宿で、これを破って老人に注意された先輩がいた。
風呂屋とは、マナーを学ぶ場所である気がする。
合宿や、林間学校、修学旅行などの時には、たいてい大浴場に入る。
その時、自分の小さなモノを隠そうとするのか、浴槽にタオルを入れる馬鹿がいる。
まことにけしからん。これはやってはいけない事だ。
以前、友人がこれをやっていたので注意したところ、
「体洗ってないし拭いてもいない綺麗なタオルだからいいんだよ」
とほざいた。そうゆう問題じゃないのだ。これはマナーである。
一緒に入浴するモノが不快にならんようにするのが、公共の場での礼儀だ。
以降、彼とは数度の喧嘩の末、表面上でだけ仲よくしている。(お互いに。

つい最近、ここでチャットをしていた方もおっしゃっていた。
銭湯麻薬説。現代人には、麻薬なのだろう。俺も入りたい。
そもそも、俺がいる地には風呂と言う概念が無い。シャワーだ。
マイナス20度近くのクソ寒い日もシャワーだ。これはたまったもんじゃない。
あんまりだ。風呂に入りたい。でも風呂屋も無い。

おい、日本はいいぞ。風呂がある。君たち、風呂屋にいってきたまえ。
どうやって行ったらいいかって?
さっき言っただろう。
手がかりは…


未詩・独白 完全なる独り言 Copyright 虹村 凌 2005-01-21 08:55:12
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