ポエムとマンガは非常に密接なつながりを持っているので、私の視点なんぞ、慧眼というほどすごいものじゃあありません。でも、ポエムに親しまなかった読者がここを見ていらっしゃるかも知れず、そうした方には「ポエムとマンガの密接なつながり」と言っても意味がわからないかもしれません。なので、話が後戻りするかたちになりますが、ポエムとマンガの歴史的関係について、私自身の歴史にからませつつおおざっぱに述べてみたいと思います。マンガと言っても、少女マンガが主になります。少年マンガに登場するポエムは、もしかしたらポエムの未来形かもしれない前衛的なものであって、本来的なポエムとは少し違うのです。
本来的なポエムについての考察を書く数少ない評論家に、大塚英志がいます。大塚のポエム論で、簡潔にまとまっていてわかりやすいのは、『少女民俗学』(光文社文庫)に収められた『【ポエム】―日常に浸み出した「叙情画の世界」』だと思います。大塚英志の考えは私と根本的なところで異なっているのですが、ポエムの歴史を考えるうえで、彼のポエム論は参考になります。
まず、ポエムという言葉の成立した時期ですが、大塚は、「MY詩集」(ポエムとイラストとイラストポエムを主体にした同人誌的投稿雑誌)創刊のころ(1972年ころ)とみなしています。この時期には、少女マンガの世界でも、ポエムという言葉が使われはじめています。ポエムは、その草創期から、マンガ、特に少女マンガと密接な関係にあるのです。ポエムは、ポエム単独で発表されるより、イラストと組み合わせて「イラスト・ポエム」として発表される場合が多いという事実も、頭の片隅に記憶しておいて下さい。ポエムは、もしかしたら文字だけでは成立しない「何か」かもしれないのです。大塚英志は、イラスト・ポエムの源流を、大正〜昭和初期の少女雑誌に掲載された叙情画にあるとみています。その点には私も賛同しています。叙情画の具体例としては、加藤まさをや蕗谷虹児あたりの絵に添えられた西条八十の詩あたりを想像してくださればいい。窓辺に佇む少女の絵と、一人称で書かれた叙情詩……そんなものが、やがて、少女マンガとポエムに変化していったのだと、私は考えています。
少女マンガのモノローグは、限りなくイラスト・ポエムに似ています。「イラスト・ポエムとは、少女マンガのいちばん印象的なモノローグだけをとりだしたものである」と定義したって、かまわないんじゃないか?と思えるくらいです。
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たとえばあなたをみつけるのが
ひざしのあかるい 春の昼下がりで
葉ざかりの桜が
風にゆれる
かすかなさざめきに
満ちていたりしたら
わたしはきっと 泣いてしまうでしょう
→「あなたに……」より引用
→『フランス窓便り』所収/田淵由美子/中公文庫
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これは、1970年代の少女マンガのひとつから引きました。このモノローグは、どう見てもポエムです。ポエム以外の何者でもないように、私には思われます。しかもこれは決して「笑われる」ポエムではない。もちろん「笑わせる」ポエムでもない。これこそ、私が好きだった本来のポエムです。上質な方のポエムです。それなりに酔わせるポエムです。
1968年生まれの私は、ポエム草創期のことをかすかにしか覚えていません。72年当時の私は確かにマンガを読んでるはずですが(だって「プラック・ジャック」を雑誌で読んだことなら、はっきり覚えてるんです)、私はあまり少女マンガを読まない、少年マンガばかり読んでる女の子だったもので……。それでも、私の曖昧な記憶は、だいたい大塚英志書くところのポエム史に一致しています。最初のうちは、少女マンガ誌「りぼん」に、一年か二年にひとつの割でイラスト・ポエムがぽつんと載りました。それが少しずつ増えていって、75年あたりには、「りぼん」以外の雑誌にも、いくらかはポエムが掲載されていたように思います。80年代はじめには、少女マンガ以外の少女雑誌、たとえば「マイ・バースデイ」(少女向占い専門誌)や「小説ジュニア」(少女向小説誌)などにもポエムが掲載され、ポエムの投稿欄がつくられるようになります。このあたりが、ポエムの表向きの全盛期だと思います。このへんになると私の記憶も確かです。私はだいたいティーン・エイジでした。
で、私がハイティーンになった80年代半ば、表面的にはポエムがすたれはじめます。世の中は、なんとなく不穏なバカ騒ぎの方向に変わりつつありました。ポエムと銘打った短い作品の商業誌掲載は、だんだん少なくなってゆきました。その一方で、私は、もっと隠れた場所にポエムを見出すようになりました。どこに? ラブホテルのノートの中に、です。フツーの女の子が、恋愛だか恋愛ごっこだかのただなか、衝動的に書いた「詩のようなもの」。これまた、非常にポエムらしいポエムではありますが、質の方はピンからキリまでいろいろ、ただし、質がいいのはとても少なかったように思います。
私がはじめてネット上のポエムを見たとき思い出したのは、少女向雑誌のイラスト・ポエムではなく、ラブホテルのノートで見たポエムの方でした。そうしたポエムの具体例を引くわけにはいきませんので、現在の少女マンガから似たものを引用しましょう。少女マンガは、現在もポエム的なモノローグを多用しています。ただし、それは上質なポエムとは……残念ながら言えない場合が多いのです(もちろん、中にはいいものもあります)。
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彼と
出会ったのは
きっと運命
もし
違うと
いうなら
あたしは
運命なんか
信じない
それとも
あたしは
夢を見てるのかな
あの日から
→『僕等がいた』より引用
→「Betsucomi」2003.6月号掲載/小畑友紀/小学館
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ここに引用したものに似たポエム―――そうしたポエムは実際に数多いのですが、それらが果たして詩であるかどうか? 大塚英志は、「【ポエム】は詩ではない」と断言してしまっています。大塚英志の文章を引きましょう。
―――
要するに、岡田有希子(1986年に投身自殺したアイドル歌手←鈴木パキーネ註)の日付なしの「日記」のような詩に近い創作文を、いつのころからか【ポエム】と呼ぶようになったのだ。しかし、【ポエム】は詩ではない。あるいは音楽の詞とも少しちがう。そもそも【ポエム】というジャンルは公的に認知されたもの、ではない。だから詩人や作詞家はいるが、ポエム作家はいない。
このように、【ポエム】とは、ほんらい日記帳やノートの片すみに書かれるもので、おそらくは岡田有希子のようにとくべつな事態にならないかぎりは、新聞の活字になったりマス・メディアに浮上してくることはない性質のものである。せいぜいが、少女まんが誌の読者欄にまれに掲載されるくらいである。しかしそれが「日記」とちがうのは、こちらは「創作」であり、つまりは表現手段であるという点だ。【ポエム】とは、少女たちのもっとも原初的な、かつ私的な表現形式なのである。
→『少女民俗学』所収『【ポエム】―日常に浸み出した「叙情画の世界」』
→大塚英志/光文社文庫
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大塚英志が『少女民俗学』を書いてから、状況は変わっています。もちろん、インターネットが登場して、状況が変わったのです。かつてはラブホテルのノートの片隅にひっそり書かれていた「私的な表現形式」の創作文は、インターネットを通じて表面に露出するようになりました。作者が自分のポエムを詩であると考えるなら、それは投稿詩掲示板に投稿されることもあるでしょうし、自分のHPに「詩」と銘打ったコンテンツをつくったりもするでしょう。しかし、作者が「これは詩じゃないや」と思うなら、そのポエムはひっそりとウェブ日記で公開されることになるでしょう。
詩として扱われるポエムと日記として公開されるポエムと、質的な違いはほとんどありません。つまり、ここで重要になってくるのは、ポエム作者本人が、自分の創作を詩と考えているか否かということになります。
ポエム派宣言、そろそろ難しいところにさしかかってきています。
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と、ここまで書いたところで、2003年時点での考察は途切れてしまった。続けたいと思っているけれど、続けられるかわからない。がんばるつもりでは、ある。
ポエム派宣言
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