さかな。
佐々宝砂

どこであろうと
浜は潮臭く沼は生臭いのだと知った。
ならば。よろしい。



塩水湖をぐるりとめぐるいかにも寂しい鉄道の
無人駅のそばに男は暮らした。

男はいつも自室でひとり酒を呑んだ。
家族の顔を見るのがいやだった。
ことに自分の息子をみるのがいやだった。

息子は父親によく似ていた。
そして男は祖母によく似ていた。
ハワイ生まれの日系二世だった祖母に。


"Green Lady"の目はひとつきり。
"Green Lady"に鼻はない。
"Green Lady"の足はひれあし。

緑の髪は海草で、
冷たい肌はウロコでびっしり。

沼に行っちゃいけない。
沼に行くと"Green Lady"がおまえをつかまえるよ!


そう言って祖母が男を脅しつけたのは
あれは何十年前のことだったか。
入ってはならぬとされた三日月沼にはまって
行方知れずになったのは男ではなく祖母だった。
その沼もすでに埋め立てられて久しい。

"Green Lady"なんて子ども用の脅しに過ぎない。
過ぎないはずだ。
だいいちここは日本だ。
ハワイの妖怪がここにやってきたりするもんか。

男は首をふった。
窓ガラスに映る男自身の姿が見えた。
目を逸らした。
ひとつの単語が頭に浮かぶ。

さかな。

それは小さなころから男のあだ名であった。
男の顔を見れば誰でもなるほどと思うだろう。
頭全体が妙に平べったく極端に鼻が低く
丸く飛び出た両眼はあまりにも離れていた。
おまけに原因不明の皮膚病で
肌がいつもカサカサしていて
まるでウロコのようだった。

俺だけじゃない。
ばあさんがそうだ。
息子がそうだ。

さかな。

いまいましい。魚は嫌いだ。
生臭い。べたべたする。気持が悪い。
あんなもん食べるやつの気が知れない。

昔を思い出して今さら憤慨しながら
男は箸で肉じゃがの小鉢をつついた。

すると小鉢からにゅるり現れたのは
小鉢には収まりきらないような
大きな大きなマグロの頭で―――

あまり鋭利でない刃物で切られたらしい切り口から
でろんと茶色い内臓が下がり
丸い目玉は白く濁り半ば腐って悪臭を発し
しかもそいつは―――

にやりと笑った。



肉じゃがを煮た嫁さんは
そんなことあるわけないでしょう気のせいよ、と
明るく笑って亭主を仕事に追いだした。

そうよ、魚が笑うもんですか。
マグロなんてあんな莫迦な生物が笑うもんですか。
魚ってのは無表情なものよ。
ねえ?

海草の髪を持つ母親と
魚の顔した息子は
一つ屋根の下
楽しそうに笑いあった。


自由詩 さかな。 Copyright 佐々宝砂 2014-01-21 12:29:04
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