母は愛しているのです
松岡宮

母は愛しているのです
わが子を愛しているのです
激しい雨が続いた五月
つつじの葉っぱの裏側で
もうこの手をあなたに伸ばして
可愛らしい額をなぜることは出来ない 
そんなときにも
母は愛しているのです
わが子を愛しているのです

春の萌しで華やかな森に季節外れの寒い風がきて
母の細い腕が自由に動かせなくなって
もう子供に手を伸ばせなくなっても
母は愛しているのです
わが子を愛しているのです
季節外れの爆弾低気圧が連れてきた暴風雨のなか
寒さに弱い母の肩の関節がきしきしと痛み
もう子供に手を伸ばせなくなっても
もういちど逢いたかった
母はひたすらに愛しているのです
わが子を愛しているのです

母は愛しているのです
それがたとえ出来の悪い末っ子であったとしても
母は愛しているのです
寒い五月の真夜中に
静かにしおれて呼吸が止まった黒い卵ですら愛しているのです
母はあなたを守らなくては
母はあなたを育てなくては
死にかけてその細長い手が闇に渦巻きを描きながら折れてゆくときも
母は愛しているのです
わが子を愛しているのです
母が戻って来ないので 
一日 いちにち 縮んでゆく卵や幼虫は
母を待ちわびて しんと啼く
その声を母は聴くのです
動けない身体で母は思うのです
母に嘘ばかりついて
母の頬を殴り
母の財布をくすねて
家にちっとも帰ってこない子供であったとしても
前科をこさえて警察に何回も呼ばれるような子供であったとしても
数百万の借金を何回も肩代わりさせる子供であったとしても
身長が180センチを超えてもはや子供として扱えなくなった息子であっても
IQが180を超えて母の知らない語彙をしらっと身につけた子であったとしても
母の事が大嫌いだとあることないことあちこち近所で吹聴する顔だけは可愛い娘であったとしても
母は愛しているのです
わが子を愛しているのです
蜘蛛の巣糸に絡み取られて遠のいてゆく意識のなかで
あるいは点滴チューブと酸素マスクに絡み取られてどうしようもない無力のなかで
母はあなたを守らなくては
母はあなたを育てなくては
母は愛しているのです
わが子を愛しているのです

母は愛しているのです
わが子を愛しているのです
春は簡単にたくさんの希望を雌花に託して
春は簡単にたくさんのものを生み出してゆく
ぽん ぽん ぽん
そして おかあさんおかあさんと言いながら
春には簡単にたくさんの生まれたてのものが消滅してゆく
明日は晴れ 台風一過の青空が見えるでしょう
気温は20度を超えるそうです
動けない母の身体がくるりと傾いたとき 夜空が見えた
一日だけ
ほんの少しだけ 
遅かった
もう一度逢いたかった
母の自慢の長い羽が風に巻き取られてぼろぼろ散ってゆくのです
もう一度逢いたかった
母の自慢の長い腕が微風に外れてツツジの花びらの上にぽっと落ちてゆくのです
それは雲を流す優しい風だった
やっと夜空に現われた三日月は
脚も羽もなくなったおかあさんの体躯に
とてもよく似ているのでした
おかあさんおかあさん 見えるよ
おかあさんおかあさん 見てるよ
もうすぐ 
そちらに行きます


自由詩 母は愛しているのです Copyright 松岡宮 2013-05-17 22:19:31
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