フロイディアン的思考
不老産兄弟
アートをひねり出そうと意識すると、左脳が働き出すために手が止まってしまうこともある。右脳、左脳をあわせ味噌のようにして混ぜあわせながら絶妙な味を引き出すこともあるのだろうが、分量のバランスを取ることはそう簡単なものではない。
左脳を酷使しなければいけない作業を延々と続けるうちに、いつのまにか白日夢を彷徨う自分に気付くことも珍しくないだろう。そのときに私達の右脳は活性化しアートを放出しているのである。
アートの中に無意識が見えることがある。それらは本人の憧れやトラウマであるという人もいるが、自らが信じる憧れや恐怖とは別のところに本質があるのだとしたら、創作意欲というものは高めようと意識して高まるものではないように思える。
理想の世界を描きたいと思うことは珍しいことではない。ただ理想の世界を描こうとすることから始まるアートは左脳によってひねりだされたアイデアであることが多い。現実から逃れることを意識して描かれた世界も、意識している以上、同様に左脳による産物である。
それではアートはどのようにして右脳から放出されるのだろうか。左脳の思考が停滞している時にこそ右脳はアートを吐き出すという前述の仮定の下で考えると、左脳を不活発にすれば良いということになる。
ただ、意識的に左脳の働きを低下させることが出来るかというとこれも容易いことではない。自身の左脳の働きを抑圧しようとすればするほど、それに反発しようとする力も同様に働くからである。それは、眠れない夜に寝ようとすればするほど逆に頭がさえてくるという経験をした人は容易に理解できるだろう。また同時に、創作をしている場合ではない時に限って次から次へとアイデアが浮かんできて創作以外のことが手につかないという経験のある人もいるのではないだろうか。
つまり最初から右脳でアートしようと試みること自体、左脳を抑圧しようとするため、それに反発して左脳は活性化する。反対にに左脳を酷使しようと意識すればするほど、その機能は低下するのである。右脳が台頭し、アートが溢れてくるのはこの時である。