「あなた」と「私」に幸あれと
佐々宝砂

さて地球のこのあたりはまたも日輪を見失い
「私」は青みがかった夕暮れ過ぎの色彩を見ながら
そろそろ晩飯を作らなければ
いやそれよりも洗濯物をとりこまなければ
などと考えている

するとそこに「あなた」がやってきて
さて今から霧吸の井戸にいこうという
そんな井戸が近所にあるとは
とんと「私」は知らなかったが
私は知っていた
私の近所には霧吹の井戸というものがありまして
つまり霧吸の井戸というのは
霧吹の井戸の名称を裏返しにしただけの私の創作である

まあそれはそれとして
「あなた」と「私」と連れだって
ご近所の城に出かけてみれば
確かになるほど霧吸の井戸と呼ばれるものがありまして
コンクリートの柵に囲まれた空間の中央
ぽっかりと暗い穴が浮かんでいて
あたりがなんとなく涼しいのは
その穴に空気が吸い込まれてゆくからであった
こんな井戸があったら超常現象に間違いないのだが
お忘れのないように
この雑文は創作に過ぎないのである
霧吸の井戸なんかこの世のどこにも存在せず
類似の名称類似の現象があったとしても
それは偶然の一致に過ぎないのだとお断りしておく

井戸のまわりには先ほど述べたように柵があり
柵と柵とのあいだは頭も入らないほど狭かったが
柵の高さはそれほど高いわけではなかった
せいぜい2メートルというところであり
登るのは非常に容易てあると思われた
そのせいか「あなた」と「私」は
どちらからともなくその柵を登りだした
柵のてっぺんにたどりついたところで
ケンカになった

つまり「あなた」も「私」も
消えてしまいたいのである
何でものみこむらしい霧吸の井戸に
身投げしてしまいたいのである
しかし「私」は「私」が消えても「あなた」を残したい
そして「あなた」は「あなた」が消えても「私」を残したい
そんなわけで柵のてっぺんでつかみ合いをはじめたが
そんなことをしたら柵から落ちるに決まっており
実際「あなた」と「私」は当然のことながら柵から落ちたが
井戸のある側に落ちたのではなかった
にも関わらず「あなた」と「私」は
わざとらしい青白い光輝を瞬間放つとその場から消えた

もちろん「あなた」と「私」を消したのは私である
こんなまどろっこしい二人に
そういつまでも付き合ってられっか
というのが表面的な理由ではあるが
本当のことを言えば
私は「あなた」と「私」を
洗濯物と晩飯の日常からすくいあげ
非日常的異次元空間の旅に出してやりたかったのであった

つまり私は「あなた」と「私」が好きなのであって
彼等をなるべくなら幸福にしてやりたいと願っているのだが
そういえば筆者が「私」とは別人であるように
私もまたこの雑文の筆者とは別人であるかもしれぬ
しかしまあそんなことはどうでもよい
異次元を彷徨する「あなた」と「私」に幸あれと
「あなた」ではないあなたもできたら祈ってあげてくれ


自由詩 「あなた」と「私」に幸あれと Copyright 佐々宝砂 2004-12-20 04:54:16
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