【批評祭参加作品】大手拓次のこと
佐々宝砂

 私はあまり外で遊ばない子どもだった。リウマチ熱の後遺症で心臓が悪かったせいもあるが、他人とつきあうのが基本的に苦手だったのである。趣味は読書、運動音痴の優等生(得意なのは理科と国語)、性格が暗くて人づきあいが悪く、ときどきいじめられる……自分で書いてて悲しくなるが、私はまさにそのような子どもだった。もっとも、私の子ども時代のいじめはまだ可愛くて、私は恐喝の被害者になったりはしなかった。せいぜい給食のうえで雑巾を絞られる程度のことですんだ。だから運良く犯罪はおかさなかったが、いじめられっ子であった私が何かのきっかけで母親を惨殺したり少女を誘拐したりしたら、それこそマスコミの格好の餌食となったことだろう。小学生の私は、「みんな死んでしまえ」というたぐいの文章をノートにたくさん書き散らしていたから。

 私は何を考えているかわからないとよく言われる。それがほめ言葉ではないということぐらい、私にもわかる。外で働いてまっとうな生活を送っていればそれでもまだましだが、私のように家にこもって暮らしていて何をしているかわからないような人間は、隣近所から危険人物みたいに扱われている。善人づらしてニコニコしながら、興味もない話を続けるだなんて、私にはとてもイヤなことだ。別に何を考えていてもいいではないか。人に迷惑をかけているわけでも犯罪をおかしているわけでもないんだから。


 私が大手拓次という詩人を好きなのは、彼が人づきあいの悪い詩人だったせいかもしれない。一八八七年に生まれたこの詩人の人づきあいの悪さは、かなり重症である。歯磨き会社の広告部員として働きながらひっそりと詩を書き、独身のまま四十六歳で死んだ。プラトニックな恋はしたらしいけれど、女性と交際することなんてなかったらしい。大手拓次は、北原白秋門下で萩原朔太郎や室生犀星と並び称されているが、羞恥ゆえなのか、孤独癖ゆえなのか、北原白秋の雑誌以外には作品を発表せず、生前は一冊の本も出さなかった。文壇との関わりをほとんど持たなかったせいだろう、現在に至っても作品の質に見合うだけの評価を受けていない。

 人によっては、彼の生涯を貧しいものと見るだろう。しかし彼の内面は豊かであった……と書けば感心する人がいるかもしれないけれど、陳腐な気がするから書かない。彼の内面がどうだったのか、私は知らない。しかし私は、大手拓次の詩と生き方にあこがれた。彼のように孤高に生きたいと思った。だが私は意志が弱い怠け者だったので、恋愛をプラトニックなままにとどめておくことなんてできなかったし、まっとうに会社に勤めることさえできなかった。

 もちろん彼に匹敵するような詩など、私には書けない。大手拓次が独学でフランス語を修得しフランス詩の原著に学んでいたことを知って、私もフランス語をやってみようとしたが、一年で挫折した。私は大手拓次にはなれそうにない。私は結局、単に人づきあいの悪い人間なのである。


 ボードレールやベルレーヌなどのフランスの詩人に影響を受けた大手拓次の詩の多くは、フランス流の象徴詩である。象徴詩とはなんぞやということを解説すると、しちめんどくさくて退屈でそんなもの誰も読まないだろうから、説明ははしょる。実を言うと私には、巧く説明できるという自信がない。しかしよくわからなくても「この詩、いい!」と思うことはできるので、とりあえずひとつおためしあれ。



「 青狐 」 大手拓次

あをぎつねはあしをあげた、
うすねずみいろのけばだつた足をふうわとあげた
そのあしのゆびにもさだめなくみなぎる
いきもののかなしみ。
あをぎつねはしらじらとうす眼をあけて、あけがたの月をながめた。



 特別に難しい言葉はない。萩原朔太郎や室生犀星の口調よりずうっとわかりやすく、重苦しくもない。小学生にだって読めると思う。「あをぎつね」のかなしみは、誰にでもすうっと理解できるものだし、月のしたで足を「ふうわ」とあげている姿は、誰にでも想像できるもの。でも、そうか、生のかなしみをわかりやすく歌うのが大手拓次のやりかたなのか、などと思われては困るから、もうひとつ詩を引用する。



「 水草の手 」 大手拓次

わたしのあしのうらをかいておくれ、
おしろい花のなかをくぐつてゆく花蜂のやうに、
わたしのあしのうらをそつとかいておくれ。
きんいろのこなをちらし、
ぶんぶんとはねをならす蜂のやうに、
おまへのまつしろいいたづらな手で、
わたしのあしのうらをかいておくれ、
水草のやうにつめたくしなやかなおまへの手で、
思ひでにはにかむわたしのあしのうらを、
しづかにしづかにかいておくれ。



 難しい言葉がないのは「青狐」と同じだけれど、どういうつもりで大手拓次がこれを書いたのか、どうして足の裏を掻いてほしいのか、ちょっと普通のひとには理解しがたい。でも、大手拓次の詩は、意味の伝達を第一の目的とはしていないので、私たちは、この奇妙で幻惑的な言葉をただ味わえばいいのだと思う。

 彼の口語詩は、現実の彼の生活とほとんど関わりがない。彼は家族をうたわないし、自分の出身地である群馬のこともうたわない。恋人は登場するけれど、常に「まだ こころをあかさない」存在で、「おまへ」と呼びかけられるのは現実の誰かではない。大手拓次はひそかに同僚の女性(新劇女優山田安英)に憧れていたと研究者は言うが、そのプラトニック・ラブを彼が詩に託したとしても、「おまへ」は山田安英ではない。

 大手拓次の詩は、さけばない。それはしずかでうつくしい。玄妙な音楽か、慎重に織り上げられたやわらかなビロードのようだ。そこには現実のアクがない。

 大手拓次と同時代の詩人たちは、現実の女性と問題を起こしたり、生活と詩のバランスをうまくとれずに経済的逼迫のなかでひいひい悲鳴をあげたりしていた。彼らが月に叫んだり重たい憂鬱に拘泥したりわかりやすい愛にのめりこんだりしてるあいだに、大手拓次は、下宿の密室でひとりうつくしい詩をつくりあげていたのである。

(2000年ごろ書いたもの)


散文(批評随筆小説等) 【批評祭参加作品】大手拓次のこと Copyright 佐々宝砂 2004-12-17 01:54:07
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