匂い硝子
月音


正雄さんは 今日はいらっしゃるのかしら

律儀に今朝も 同じ時間に
サクさんは 二階の詰所にやってきて
繰り返し そう 尋ねる

わたし 頭がおかしいから 心配なんです
杖の先を遊ばせて そう 目を伏せる

大丈夫ですよ
明日には きっと
さあ お部屋に戻りましょうね

看護婦の手にひかれ
丸い背がゆるゆると遠ざかる

サクさん
最近は お隣りの国の人たちが
この国でも すごい人気らしいですよ

ぽつりぽつりと告げる
戦闘機の名前も
あの頃の正雄さんの部隊の名も
交わされた約束も
多分 本当のことで

寒いから と
あまりカーテンを開けたがらない
その向こうは
もう
五十年の未来

おいていかれたのは わたしたちかもしれませんね

時折
思い出したように 謡う あなた

戦争未亡人という肩書きをもって

正雄さんが 迎えにくる日を ぼんやりと待っている








自由詩 匂い硝子 Copyright 月音 2004-12-16 00:45:25縦
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