雑草の花・鯨の皮膚
高濱



梨の実が旧い館の椅子の上に置いてある。
静物画を描く青年がブロンズ製の髪の毛を流しながら、
河のマネキンを浚い取る掃除夫に腕を授け渡す。
それは広間へと続く廊下の壁掛時計に引っ掛かっていたもので、
機械仕掛の神の指先にあまりに似ていたものだから、躊躇しながら掴んだことを、彼は憶えてはいない。
時折その館では七不思議の一端が、
誘い掛ける蒼白い馬の幻覚として目撃されては恐怖を呼び起こした。
その館も今は無い。絨毯爆撃を逃れることができなかったのだ。郊外の森の中だというのに。
焼夷弾は忽ち燃え広がり、炎の髪した婦人の絶叫が私室のカーテンに燃え移り、
黒焦げた死体は萎縮した胚の様であった。



種子の成長が停止する。
卵が楕円の影を落し、
円卓の水差は銀製の工場から羽ばたき、
果実皿には血塗れの肝臓が脈打ち、
鷲鳥の羽根が壁に釘打たれている。

二十日鼠の水死体が何か美しく膨れ上がる。 
鉄道職員は警笛を鳴らしながら、蒲公英を吹き散らす。
雉鳩のソテーが鉄路の上に置かれている。

旧官邸をオレンジの果樹園に変えたのは
一瞬のカーテンが裏返る窓辺の蔓に咲く雑草の花々が燃え上り
青い炎の円を白い画布に描くのを監査員が赦さなかったから。

監舎の窓は閉ざされていた。鳩が足と羽根を奪われて鳴いていた。
地獄には鳥はいないと語る収監者が、羽根を生やした機械の様な物を作働させ、
皆喰尽くされてしまうからだよ、と微笑む。白木蓮がその眼球を動かすと、眸から花が零れる。



眠りに就いていたのはわたしか、あなたか。描かれたのは誰で描かされていたのは誰だったのか。
不敵な微笑を浮かべる安化粧品のポスターの様な眦だ、何が洗顔油に溶けていたのか、
顔の画布の上に混沌とした枯葉の蝶が渦巻いている。あなたは誰の贈り物なのか。
「わたしは死者よ、ずっと昔からの」噴水の縁を歩きながらそう伝える、ガラスはあなたを愛するだろう。
それ故にショウウィンドウの衣服が煤けた二十世紀の火薬を点火し、絨毯爆撃の憂目に遭うようなことがあってはならない。
私達が、或は私が、郊外へ避難してゆく自動車のトランクには紋白蝶の燐粉が敷き詰められていたし、
ここにはもう駄目になった機械類しか集まらないのだし、あなたとは上手く踊れないだろう。



自由詩 雑草の花・鯨の皮膚 Copyright 高濱 2012-08-05 01:43:54
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