血まみれの夜
岡部淳太郎

帰り道 いつも通る住宅街の
薄暗い側溝の上に
夜が血まみれになって横たわっていた
誰かに捨てられたのか この世の
仕組みから外れて落下してしまったのか
夜はその黒い身体のところどころに
赤い血を滲ませて
静かに息をしていた
夜はアメーバのように瞬間ごとに
微妙に形を変えながらそこにあった

私は血に濡れたままのそれを拾って
ひとりきりの自分の部屋に持ち帰った
夜は私のそんな行為に逆らう様子もなく
ただ黙って暗いだけの姿のまま
私にさらわれていった
夜が物体ぶったいとして落ちている世の中。
そんな世相は見かけ以上に
複雑なものに違いない
そうは思ったものの
私は気まぐれに拾った夜をどうするのか
まだ何も決めてはいなかった

私はとりあえず夜を
テーブルの上に置いてみた
いつもひとり食事を摂り
ひとり思索のための書き物をする
いまは何もないテーブルの上に
私は夜を置いて眺めた
夜はまだ血まみれで
細い息を繰り返していたが
私はその血を拭うことさえしなかった
夜の治療方法など どの本にも
どこのネットワーク上のページにも
書いてあるはずがなかった
だから ただそうして放置している以外なかった
夜はそんな私を怨むこともなく
ただそこにありつづけているだけだった

ふと私は我に返り
夜をこのまま自分ひとりの部屋に
置いておいたらどうなるかということを考えた
何者が夜をここまで傷つけたのか
何が夜に血を流させたのか
そんなことも気にはなったが
私は目の前にある夜と
私の心の中にある暗いものが
不吉にも重なり合うことを思った

部屋の外の世界は暗かった
この夜と同じく暗かったが
それはもはや 夜そのものではなく
夜の抜け殻でしかなかった
ただ暗さだけが同じでまったく異なる
たがが外れた人々の
開けっぴろげの意志と
欲望の巷となっていた
もしかしたらこの夜は
外に広がるあの空間から
剥がれ落ちてきたものであったのだろうか
夜としての本質をその身に宿して剥がれ
その時にいくつもの傷をつくって
血を流したものではないのか
そう考えると 目の前にある夜が
私というひとりきりの身に見つけられ拾われたのも
何かの因縁であるかのように思えてきた

夜は息をしながらも動かず
変らずに目の前にあった
夜はひとつの物として現れながら
私ひとりの場に持ち帰ることによって
微妙にその性質を変化させているようであった
これは何かの呪いか
あるいは祝福であろうか
夜が物体もののけとして落ちている世の中。
そんな世相を怨む理由などあるはずもなく
私は目の前の夜が 自分自身と
抗いようもなく一致してゆくのを
ただ黙って見ているだけだった

私は夜と同じようにここにあった
ただあるだけで 細い
息を繰り返すだけで
何もしていなかった
どうやら私は少しずつ何かから
退きつつあるようだった
夜が物体ぶったいとして物体もののけとしてあるように、
私もあることになるのか
夜は点滅するように
まばたきをするように
その暗さを増減させていった
私の気がくるっと
回転してしまう前に
眠りの中に逃げこむべきであるように思えてきた

私は夜を寝床に引き入れることはせずに
夜をテーブルの上に残したまま
ひとり眠りについた
人は夜から逃れるために眠るのだ
夜と一緒に眠ることなどできはしない
私は夢の中で私自身から剥がれ落ちて
血まみれで横たわっていた
私が物体もののけとして落ちている世の中。
そんな世相だからこそ 逆説的に
私は夢を見ることができるようだった
やがて外の世界と内の世界の
ふたつの暗さの中で
私は抗いようもなく
私自身と重なり合っていった

やがて窓の外が明るさで覆われ
明日の号令に目を醒ました時
私の身体は見知らぬかさぶただらけとなる
放置した夜は
私の中に取りこまれて
いつしか消えているのだ



(二〇一二年四月)


自由詩 血まみれの夜 Copyright 岡部淳太郎 2012-04-24 00:50:51
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