ドーバー海峡の悪戯書き
天野茂典

  そこはドーバー海峡だった
  ぼくたちはリヨンまでカーフェリーでゆくのだった
  ぼくはその船のなかでコロンビアの船乗りさんと
  仲良くなった ふたりはビールを飲みながら
  ざつだんした 何についておしゃべりしたのかもう忘れてしまったのだが
  背の低い初老の船乗りさんとは相性がよかった
  船はほとんど揺れなかった ぼくたちはバーの止まり木に足をやって
  立ちっぱなしだった 船乗りさんはセーラー服ではなかったが
  すぐそれと分かる風体だった 長年の潮風が船乗りを語っていた
  ぼくも船乗りさんもつたない英語である
  だが同意したり 笑ったり おたがいに褒めあったりした
  イギリスとフランスを結ぶカーフェリーの中の一齣
  そういえば船員の帽子をかぶっていたっけ
  ドーバー海峡は短い 1時間余だ
  ぼくたちはおしゃべりのしっぱなしで
  いちども外へ出なかった 甲板にもたたなかった
  イギリス側の白い断崖が続くのは見た
  後はバーへ直行だった
  ピンク・フロイドの『原子心母』そっくりの
  牧場の牛をイギリスでいっぱいみてきていたから
  とても嬉しく 気分もよかったのだ
  ぼくはもうあの初老の船乗りさんの年頃になっているのではないか
  大西洋はみえなかったけれど
  ぼくはコロンビアの船乗りさんにであえた
  ピンク・フロイドのレコードは火事で焼いてしまったが
  耳に残る演奏だけは忘れない
  船乗りさんのうまそうにビールをのみ干すときのえがおは
  忘れられない
  ぼくは若かった
  純情だった
  DARK SIDE OF THE MOON
  日本で初演されたピンク・フロイドの曲だ
  ぼくも武道館にいたのだ
  そうしてイギリスを訪ね
  いまフェリーはフランスについた
  さようならイギリス
  さようならコロンビア
  世界の海を旅した男
  さよなら
  ぼくも船乗りになって
  世界を旅したいと強く思った
  こんにちはフランス!  

               2004・12・04




未詩・独白 ドーバー海峡の悪戯書き Copyright 天野茂典 2004-12-04 17:37:57
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