小田急車掌が燃えている
松岡宮

小田急駅員はいつも上品だった
小田急デパートで接遇を学ぶという噂もあった
なめらかな接客のできる上品な駅員たち
そして車掌はさらに上品だった
小田急車掌が閉める扉は障子のようにたおやかだった
・・・駆け込み乗車は おやめ下さい・・・
どの私鉄よりも白い手袋をはめて
いつも 困ったように 立ちすくんでいたのだった

そう 
小田急車掌はいつも困ったように立ちすくんでいたのだ
どんどん乗り込んでくる乗客
喧嘩する乗客
急病人となる乗客
小田急車掌にできることは少ない
ドア閉まります
お下がりください
・・・おやめください・・・!
それしか言えない小田急車掌の薄い背中を
わたしはいつも 見つめていた

小田急車掌の困った顔が夕暮れのラッシュに溶け込んでゆく
それはときには泣き顔にも見えた
ちからのあるものは ちからのあることを ことさらに 示してはならない

いつも言われて育ちました
乗客と車掌は違うのだから
車掌は 自分が高い熱を出している時でも 
お客さまのことを第一に考えなくてはならない


小田急車掌に親切にされた数を数えたら 東京から見える星の数を超えた
・・・お客さま 終点ですよ 起きてください お客さま・・・
めざめたらそこは新宿だった
あれは浪人生の春の日のこと

ロマンスカーの女神は嫉妬深くて
ロマンスカーで移動する恋人の仲を裂く
風もさみしい冬の夜
世界中の車掌がペニスに替わって一皮むけて車掌に戻る
誰にも 魔の降りてくる夜があるのね
わたしには何も言えない

だって わたしだって魔の降りてくる夜は ある

ああ わたしだって魔の降りてくる夜は ある
車掌の制服のしわのことを考えてこの世界の襞を押しやぶり
違う世界に旅立つ夜もある
車掌のネクタイの結び目をおにぎりのようにむさぼり食べる夢を見ながら
やっと渇きをいやす夜明けもある
車掌の名は 車のてのひらと書くのです
車掌の手は 特別なんです
車掌の手袋がわたしの首に巻かれてそのままだらしなく失神することを夢見る夜もある
ひとは弱くて 弱いつなぎ目ばかり持ち その脆弱性に 魔が差し込む
元気なときよりも元気のないときに差し込む車掌の薄い身体の存在感
車掌を思いながらしごく夜もある
車掌を思いながらいたる夜もある

わたしが好きなのは制服だから 中身などは まるで関係のないこと
車掌とは 外側にひろがる何かを さす用語でしょう
そんなテキストを 書いてはみても
思い出す
制服のなかには皮膚があって
皮膚のなかには血管があって
血管の果てには臓器があるのね
機械じゃ なかったのね
車掌は車掌じゃない時間と分けられない身体を持っているのね
思い出す
あんなに薄い姿をしているのに意外に重たい車掌の体重のこと
シートを倒して触れ合った時の男性的な香りのこと
少し伸びたヒゲがちくりと刺さる音
そして おきまりの 車掌の手袋がわたしの首に巻かれてそのままだらしなく失神することを夢見る
それは 誰にも言えない夢 でした
にんべんに 夢と書いて
儚い

ああ わたしだって 罪をおかして ばかり いる

どんな路線の車掌も 車掌を着用している
そのうえ 小田急の車掌は 格別だった
いつも 優しいほほえみを 絶やさず
いつも 子供の喜びを 考えて
いつも 親切をしてあげたい 暖かな まなざし

小田急車掌はいつも困ったように立ちすくんでいた
正しさの風のなかで 困ったように立ちすくんでいた

・・・燃えている
そんな薄い小田急車掌が 燃えている
線香花火ほどの 明るさで 静かに 静かに 燃えている
そして 燃えて 燃えて 燃えすぎた車掌が
夜明けの空に打ちあがって しずかに散ってゆくさまを見た
どこの私鉄よりも白い手袋が はらりと落ちてゆく

ただ 弱かったのだ 弱かったのだ そうとしか 言えない

小田急車掌を引き受け 小田急車掌でありつづけるには 弱かったのだ

世界中の車掌がペニスに替わって一皮むけて車掌に戻る
誰にも 魔の降りてくる夜があるのね
わたしには何も言えない
だって わたしだって魔の降りてくる夜は ある

ごめんなさい あなたのことが まだ 忘れられない

地に落ちた車掌の制服が 夜明けに膨らみ
また 一歩 一歩
身体を引っ張って 歩き出していった


自由詩 小田急車掌が燃えている Copyright 松岡宮 2012-04-02 23:45:38
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