事実
岡部淳太郎

もう何年も昔のことで、そのために遠い背後に過ぎ去っ
てしまったように思えるのだが、それでも時おりこうし
て思い返してしまわざるをえないほどに、いまでもそれ
は私のすぐ隣にある。あの時、私は事実に耐え切れずに
泣いた。はじめてと思えるほどの涙を、声を挙げて流し
た。そんなふうにして事実の重力に引き寄せられて、引
き裂かれそうな思いをしたことは、それが最後であり、
それ以来絶えてない。あの時の私は目の前に突きつけら
れた事実の厳しさに、それに引っ張られているだけのよ
うに思えたのだが、本当は事実と私との間で絶え間ない
相互作用が起こっていて、それが私を悲しませていたの
だった。要約すると、私の方でもまた、事実を引き寄せ
ていた。事実と私と、その両者が互いに引き合って、そ
れが事実の姿をますます鮮明にさせていたのだった。そ
のようにして顔をそむけることなく、事実を自らの眼前
にぐいと引き寄せて見ることで、私は悲しんでいた。だ
が、その期間もとうに過ぎ去り、あの時の事実は私の背
後にある。それでいながら変らずにそれが傍らにあるの
は、私が自らの思いで事実を引っ張ってきたためであっ
た。それは私が事実を自らのものとして、大切に保存し
ておくためのやり方であった。そのために、いまの私は
事実を身の内に置きながら、時にそれを地平線の向こう
側に没し去ることができる。それは私にとってたったひ
とつの恩赦であり、ひとりきりの淋しい解き放ち方でも
ある。あの時の事実。あなたがこの世を去ってから、も
ういくつもの時が剥がれ落ちては、消えた。私はもう涙
とともにはないが、事実は遠く、また近いところに、こ
うして存在しつづけている。私も事実もまた、同じよう
に重い。私はその中で、ひとりきりで生きているのだ。



(二〇一二年一月)


自由詩 事実 Copyright 岡部淳太郎 2012-03-26 20:57:42縦
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3月26日