まんぼうのこと
はるな

曇天。呼び出しに答え、すぐに放り出されたあと、ひとりで水族館へいく。
締め切り時間間際にくぐるゲート。入ったあとすぐに、うしろでシャッターが閉まる音。

館内は暗く、ごく控えめな音量で歌詞のない音楽が流されている。水槽から反射してゆれている光。ミズクラゲの水槽(いままでみたいくつかのミズクラゲの水槽はどれも円柱型で、360度ぐるりと見られるようになっていた)がいちばんすきで、ずっと見ていられる。大学生くらいのカップルが、手をつないで何組も通り過ぎていく。
おおきな水槽の前にたち、いったいどちらが、「こちら」なのかわからなくなってしまう。背面の光に反射してうつる顔。通り過ぎる人々、なんだか遠くのほうで聞こえる子どもの呼び声。
むかしああいう風に水族館につれてこられた。ほかの何人かの子どもたちと、その母親たちと。べつに好きじゃなかった。ほかの子どもたちが特によろこんでいた「磯のふれあいコーナー」も。浅瀬のいきものに触れるのが特徴で、平べったい水槽から生ぬるく、しめったにおいがしていた。「ひとでにさわれるよ。」「かにもいるよ。」まだおそろしく厳しかった母親が、いつもより柔らかく笑うのだけがうれしくて、べちゃべちゃしたひとでを持ち上げてみせたりした。

でも、説明書きは好きだった。
「まんぼうの肌は繊細で、手でさわるだけでもあとがついてしまいます。」
「ミズクラゲはその姿から、ヨツメクラゲと呼ばれてもいます。四つの目があるような姿がわかりますか。」
「ホヤは有性生殖と無性生殖のどちらもおこなうめずらしい動物です。」

閉館間際のスナックコーナーで、コーヒーといるか焼きを注文すると、毛先だけいやに赤茶色の若い女の子は、それでもてきぱきとそれらを出してくれる。四百円です、という事務的な口調と、それに似合わぬ明るい色の唇。

それにしても、花曇りの甘ったるい空、水槽の目に染みる青。手を繋いで歩く若者。
一人でなんでもできるということが、必ずしも良いことではない。と、どこかで読んだ文章を思い浮かべ、それを理解できそうな心持になる。むろん、わたしはまだ一人でも、「なんでもできる」わけでもないけれど。

(まんぼうの肌は繊細で、手でさわるだけでもあとがついてしまう。)

コーヒーは薄くて熱すぎたし、いるか焼きはぱさついて中のクリームが生ぬるかった。でもいいのだ。とりあえずひとりで水族館に来ることもできるし、そしてそこから帰ることが出来る。いまは曇っているだけだけれど、そのうち雨も降るかもしれない。歩いているうちに雨がふりだしたら、うんと派手な傘を買って帰ろう。



散文(批評随筆小説等) まんぼうのこと Copyright はるな 2012-03-23 23:58:59
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