祈りの船/サイン・アウト
茶殻

JRから東武線への通路は朝から混雑し
僕はひたすらまっすぐ歩く作業着の僕を
高い窓の外から眺めている
通路の真ん中には真っ赤なテープが貼ってあるのに
右にも左にも進行方向を示す矢印がなくて
自ずとぞろぞろとぶつかり合う波の中央からやや奥の方
ひたすらに歩く僕は人と接触する瞬間に
相手に溶けてそしてくぐり抜けていく
まかり間違って血管の網に引っかかる不安
は杞憂に終わり
あばらの櫛で漉かれて僕は砂のように復元する
或いは妊婦をくぐれば
胎児を奪うかもしれない
心臓疾患の中年男性をくぐれば
ペースメーカーをこそぐかもしれない
少年がランドセルに隠した痣を掠め取ってそれをすぐ貼り付ける
僕のように溶ける生物をラッシュアワーに探すOL
のハンドバッグから口紅を盗んで
僕はそれをポケットに入れる
東武線には色気がないんだと言って
ホームに降りた僕はその紅を
OLの(乾いた)唇の曲線に抉れたスティックを
走り出す車体に強く押し付けて
それを愛そうとしている
のに
抱きしめる前に無表情に僕のもとを次々と去っていく

学問としての美学、エステティークは
枝分かれの果てに皮膚を突き破り
指先から滴る血液を纏ったところで
東武線と交わることなどできやしない
と僕は思うのだが
僕はまだその場所で御馳走を前にするように
埃に煤けた指を舐めている
あのOLの香水の香りを細胞ひとつひとつに含んで

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バラ色はくたびれるんだよ、と白か黒かを選びながら
ピンクの門をノックして
なんだわかってんじゃん
終点は始点となり
ルージュを剥いだ唇に中指を押し付ける
枝毛の先に咲く花で占いをしよう

車体に散る
赤い花と記号めいた独白
生命のドレスコードは祈りをまとい
走り出す灰色の壁 その船(自動ドアを自慢げに開ける車掌の眼鏡)

麻雀をはじめれば
知らず、誰かの義手を握っている、誰のものなのか
やけに深爪である
僕は知っている、それには神経が通っていないこと
軽やかな拍手の音は生まれないこと

砂の船は洗われて
あばらの鉄檻が波に揺れる
妙なウイルスにかかった
オーバーホールを望む

手を丸めて僕は深く眠る


自由詩 祈りの船/サイン・アウト Copyright 茶殻 2012-02-22 01:35:16
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