喫茶「扉」にて 
服部 剛

半身麻痺のお婆さんの
両手を引いて後ろ向きで歩く 
介護青年だった、10年前の僕 

いつも面会中にさりげなくにこやかに 
見守っていた初老の娘さんと 
古都鎌倉の喫茶「扉」で 
偶然顔を合わせた、10年後の僕 

ずいぶん前に、地上から旅立った 
お婆さんが懐かしくて 
お葬式の時、娘さんの頬にあふれた 
涙の場面が蘇ってきて思わず声をかけたら 
きょとん、と口を空けて 

後から店の出口に飛んできたので  
(あれから、職場も変わりました 
 結婚しました、子供が生まれました) 

かたことの近況報告をしてから 
(お元気で)と頭を下げて 
鎌倉駅へと、僕は歩いた 

人違いならしょうがない、と 
遠慮がちに声をかけたが 
この生涯で数えるほどしか 
会わぬであろう人に声をかけ 
互いの間に
ささやかな花開く瞬間があってよかった 

帰りの横須賀線はいつのまに 
とっぷり陽が暮れ、夜の車窓になっていた 








自由詩 喫茶「扉」にて  Copyright 服部 剛 2012-02-14 18:42:41縦
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