人さらいがやってくる
岡部淳太郎

年の瀬になると、人さらいがやってくる。寒くなって
きて、その年を振り返って、いろいろあった年を、あ
るいは何もなかった年を、何となく思い出している時
に、みんなが忙しくなって、着ぶくれした身体を持て
余して震えている、そんな時、人さらいが、人と人の
間に何食わぬ顔で入りこんできては微笑む。今年も、
そんな季節がやってきた。

走り回る。何のために、そうまでして、走り回るのか、
人よ。今日も冬の真っ暗なゆうべは、あなたたちから
視界を奪い、乾いた空気のために滲んで見える街の灯
りを、車の灯りや、人の心の灯りを、あるいは頭上の
星や月の灯りを、抒情的に見せているが、あなたたち
が語るのはいつでも叙事的なものに限られている。そ
うして走る。走り回る。何を急いで、どこが本当の目
的地であるかもわからないのに、暦が閉じるその前に
と、あなたたちは走る。その裏で、何かが萌して、震
えながら身構えているのにも、気づかずに。

冬の暗闇は、とりわけ年の瀬のそれは、あなたたちを
盲目にさせる。暗さのために、人よ、あなたたちはせ
いいっぱいに、自らを大きく広げて、明日からの時に
備える。本当は寒さのために縮こまっていたいのに、
それゆえに、自分と同じ弱さを求めてしまいたくなる
あなたであるのに、あなたは冬の暗さへと至る風景の
中を、横断歩道の汚れた白さや、闇の中ぼんやりと見
える遠くの山なみの姿などに囲まれた中を、あなたは
重力のように歩く。そんなあなたのそばで、北風が笛
のように鳴る。それが予兆であったことに、あなたは
気づかないのだ。

ひとつの広く長く伸びた道の上を、人よ、あなたが早
足で歩いていると、ある小さな夢が人の、それぞれの
小さなあなたの喉笛に噛みつき、食い破って、その内
部に棲みつこうとする。そしてそれは、あなたの口を
借りて、ありもしないことを語りはじめ、そうやって、
得意げにしている。冬の、頭上の大きな三角形に見守
られた道の上で、あなたと夢とこの時の、三者が並び
立ち、あなたをふいに立ち止まらせる。そこまで来る
と、終りはもう目の前だ。人という名で呼ばれていた
あなたは消えて、他の人々が口々に噂をしはじめるの
だ。

年の瀬になると、人さらいがやってくる。それは重い
コートに身を包んだ、暗い顔の男であるか。あるいは、
子供のような表情の、どこにでもいそうな目立たない
者であるか。冬の寒さの夜陰に乗じて、小さな夢が小
さな人をそそのかし、頭上には満点の星空。結局、ど
んなに年老いたとしても、人はみな物事を知らぬ子供
に過ぎない。だから、まぼろしのようにさらわれて、
物語のように忘れられてゆくのだ。この年の瀬の、冬
の寒さの中、誰かが誰かを愛そうと、躍起になってい
る、その隙間から、音もなく、人さらいが忍び寄って
くる。



(二〇一一年十一月〜十二月)


自由詩 人さらいがやってくる Copyright 岡部淳太郎 2011-12-31 18:10:05
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