サンタクロースの子
ゆうと


いつも“未来ある子ども”という言い方がどうもしっくりこなくてむずがゆいので、その言葉の成り行きを考えたくなる。
たしかに年を重ねれば重ねるほど“あの頃はよかった”とか“ああしておけばよかった”と思うことが増える。
自分の未来はみんなの未来であること、そして年が下の子たちは自分より未来が長いはずであること。
だから“未来ある子ども”というのであって、未来に投資することは子どもに投資することにそう変わりない。



サンタクロースというのは子どもに投資する大人であって、それが親であってもおかしくはない。
だからサンタクロースが親だからといってがっかりする必要はなく、サンタクロースはもともと親のような存在なのだ。
ただサンタクロースという出来上がったイメージがあるため幻滅してしまうけれど、意味合いは変わらず子どもという未来に投資することである。
親がサンタクロースだということはすばらしく、とてもありがたいことだ。
すなわち子どもは皆、親というサンタクロースの子どもであるのだ。
サンタクロースになることは親(大人)になることであり、親(大人)になることはサンタクロースになることである。



お金を使うことも、お金を貯めることも、結局は未来への投資なのだ。
だからどちらでもいいし、どちらもそう変わりない。どちらかしか選べないのだから。
なにもかもが未来に繋がっている。それを重ねている。
立っているだけでも前を向いているのだ。
生きているものは皆未来に向いている。いやというほどにその光を浴びる。
それが体にいいのか悪いのかわからないけれど、要は気の持ちようなのだ。
考え方については、いくらでも変えることができる。変えようとしなければ生きづらくなっていく。
“今が楽しければいい”という考えはよくないと言われるかもしれないけれど、“今”だって結局は未来への投資なのだ。
今が楽しくて悪いことはない。今が楽しくなければ楽しくできるようにしなければいけない。
今を楽しくすべきである。それが過去の産物となり、未来への投資になるのだから。



そう、自分は未来に投資しているサンタクロース。
大人も子どももみんな、みんなサンタクロースなのである。




散文(批評随筆小説等) サンタクロースの子 Copyright ゆうと 2011-11-24 01:25:26
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